山本哲哉
東京ヤクルトスワローズ 二軍投手コーチ #92 | |
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2024年7月 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 和歌山県日高郡由良町 |
生年月日 | 1985年9月4日(39歳) |
身長 体重 |
178 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト2位 |
初出場 | 2011年8月20日 |
最終出場 | 2018年10月8日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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山本 哲哉(やまもと てつや、1985年9月4日 - )は、和歌山県日高郡由良町出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学1年から白崎少年で野球を始め、中学時代は和歌山ライオンズでプレー。南部高校では岡本洋介の控えだった。
近畿大学では3年春から登板。3年秋、京都大学戦で初先発、5安打無四球で完封初勝利。以後、大隣憲司につぐ先発2番手として活躍。4年秋はリリーフ、抑えにまわり、チーム優勝に貢献した。リーグ通算20試合登板、5勝1敗、防御率1.25。近大の同期に小瀬浩之、3学年先輩に藤田一也、2学年後輩に俊介と荒木貴裕がいた。
その後、三菱重工神戸に入社。1年目からエースとなり、第79回・第80回と2年連続してチームを都市対抗野球出場に導く。特に第80回大会では最高球速148キロを記録した。
同年10月29日のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから2位指名を受け、11月27日に契約金7500万円、年俸1200万円で仮契約した(金額は推定)。この年のドラフト3位で前述の荒木も指名されたため、プロでも荒木と再びチームメイトになった。
プロ入り後
[編集]2010年はオープン戦最初の登板で好投したものの、その試合後に肘痛を訴え、検査の結果靱帯を損傷していることが判明。トミー・ジョン手術を受けたため、一・二軍とも公式戦出場なしに終わった。
2011年は怪我明けの影響から思うようなピッチングができなかった。
2012年はシーズン中盤にバーネットが離脱して以降は、セットアッパーに定着し、勝ちパターンでの起用が多くなる。2012年度の成績は50試合に登板して防御率1.21と好成績を記録した。
2013年もセットアッパーとして開幕を迎えたが、バーネットの不調もありシーズン序盤から抑えに回り11セーブを記録。中盤からは新人の石山泰稚との配置転換により再びセットアッパーとなり、自己最多の64試合に登板、25ホールドを記録した。
2014年は投手陣が全体的に低調だったこともあって、開幕後7試合中6試合に登板するなどシーズン序盤から登板を重ねた。7月に3試合連続で失点を喫し1度登録抹消となった[1]ものの、3年連続50試合登板をクリアした。一方でホールド数、防御率の面では数字を落とした。
2015年は一軍で17試合の登板にとどまる。その後9月に2度目の右肘内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けた[2]。
2016年は前年の手術の影響で一軍登板がなかった。
2018年9月30日に現役を引退することを発表[3]。10月8日、明治神宮野球場での阪神タイガース戦の7回表に引退登板し陽川尚将を中飛に打ち取り、同じくこの日引退する松岡健一と交代した[4]。試合後には引退セレモニーが行われ、ファンや関係者に感謝を伝えた[5]。
引退後
[編集]2019年から同球団のスカウトを2年間務めた[6]。自身が担当した選手には木澤尚文[7]、杉山晃基[8]らがいる。
2021年からは、二軍育成投手コーチとして現場に復帰[9]。2024年からは二軍投手兼育成担当コーチを務める[10]。
選手としての特徴・人物
[編集]力強い速球に加え[11]、縦変化のスライダーやフォークなどを武器としている右腕[12][13]。現役時代は3年連続で50試合以上に登板するなど主にセットアッパーとして活躍した[13]。
実直な人柄の持ち主であり、誠実に取り組む姿勢からチームメイトに好影響を与える存在[13]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | ヤクルト | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 38 | 8.2 | 10 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.15 | 1.51 |
2012 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 17 | .500 | 183 | 44.2 | 41 | 1 | 15 | 0 | 3 | 38 | 1 | 0 | 6 | 6 | 1.21 | 1.26 | |
2013 | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 11 | 25 | .250 | 250 | 59.2 | 57 | 8 | 17 | 1 | 2 | 38 | 3 | 0 | 24 | 19 | 2.87 | 1.24 | |
2014 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 3 | 10 | .429 | 207 | 45.2 | 54 | 4 | 18 | 0 | 2 | 22 | 0 | 0 | 21 | 18 | 3.55 | 1.58 | |
2015 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 72 | 17.1 | 20 | 1 | 2 | 0 | 1 | 11 | 0 | 0 | 6 | 6 | 3.12 | 1.27 | |
2017 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 155 | 34.0 | 42 | 4 | 13 | 0 | 1 | 10 | 2 | 0 | 21 | 18 | 4.76 | 1.62 | |
2018 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 19 | 4.0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4.50 | 1.50 | |
通算:7年 | 228 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 11 | 14 | 55 | .353 | 924 | 214.0 | 229 | 19 | 69 | 1 | 9 | 124 | 6 | 0 | 84 | 73 | 3.07 | 1.39 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2011 | ヤクルト | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2012 | 50 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2013 | 64 | 0 | 7 | 1 | 1 | .875 | |
2014 | 52 | 2 | 8 | 1 | 1 | .909 | |
2015 | 17 | 2 | 3 | 1 | 1 | .833 | |
2017 | 32 | 2 | 4 | 1 | 0 | .857 | |
2018 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 228 | 10 | 25 | 4 | 3 | .897 |
記録
[編集]- 初記録
- 初登板:2011年8月20日、対読売ジャイアンツ19回戦(東京ドーム)、6回裏に2番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、6回裏に坂本勇人から見逃し三振
- 初ホールド:2012年6月27日、対横浜DeNAベイスターズ7回戦(セルラースタジアム那覇)、7回裏二死に2番手で救援登板、1/3回無失点
- 初勝利:2012年6月29日、対阪神タイガース6回戦(明治神宮野球場)、8回表一死に6番手で救援登板、2/3回無失点
- 初セーブ:2013年4月23日、対広島東洋カープ4回戦(明治神宮野球場)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回(2013年)
背番号
[編集]- 20(2010年 - 2018年)
- 92(2021年 - )
登場曲
[編集]脚注
[編集]- ^ “山本哲、3試合連続失点で2軍降格…ヤクルトは借金今季最多12”. サンケイスポーツ (2014年7月12日). 2021年4月5日閲覧。
- ^ “ヤクルト・山本が10日に右肘手術受ける 全治1年の見込み”. サンケイスポーツ (2015年9月11日). 2021年4月5日閲覧。
- ^ “ヤクルト山本哲哉が引退「9年間応援ありがとう」”. 日刊スポーツ. (2018年9月30日) 2018年9月30日閲覧。
- ^ SANKEI DIGITAL INC (2018年10月8日). “ヤクルト・山本&松岡が引退登板 投手リレーで1回を無失点”. SANSPO.COM. 2021年4月9日閲覧。
- ^ “【引退あいさつ】ヤクルト・山本「抑えたことよりも、打たれたことの方が…」”. サンケイスポーツ (2018年10月8日). 2021年4月9日閲覧。
- ^ “ヤクルト・山本哲哉 ブルペン支えた9年糧に、スカウトとして再出発”. デイリースポーツ (2018年12月22日). 2019年3月15日閲覧。
- ^ SANKEI DIGITAL INC (2020年11月21日). “獲るぞ新人王!ヤクルトD1位指名・木沢「1年間1軍で投げる」燕背番『20』の先輩・伊藤智に続く”. サンケイスポーツ. 2021年4月9日閲覧。
- ^ SANKEI DIGITAL INC (2019年10月18日). “ヤクルトD3位の創価大・杉山が1年目からの活躍を誓う/ドラフト”. サンケイスポーツ. 2021年4月9日閲覧。
- ^ “ヤクルトが来季の組閣発表 前オリックスの佐藤氏が2軍外野守備走塁コーチ”. Full-Count (2020年12月2日). 2021年4月9日閲覧。
- ^ “【ヤクルト】城石憲之氏が総合コーチ就任 土橋勝征氏は内野守備部門を兼務/2軍スタッフ一覧”. 日刊スポーツ. (2023年11月8日) 2023年11月9日閲覧。
- ^ “ヤクルト、山本と松岡が現役引退 ともにセットアップとして活躍「応援ありがとう」”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel) (2018年9月30日). 2021年9月8日閲覧。
- ^ “ヤクルト山本哲が我流の縦スラで2回0封 - 野球ニュース”. 日刊スポーツ (2010年2月21日). 2021年9月8日閲覧。
- ^ a b c “ヤクルト・山本、今季限りで引退…12年から3年連続50戦以上登板の中継ぎ右腕”. サンケイスポーツ (2018年9月28日). 2021年9月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 山本哲哉 - NPB.jp 日本野球機構