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橋上秀樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋上 秀樹
読売ジャイアンツ 作戦戦略コーチ #75
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1965-11-04) 1965年11月4日(59歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手捕手
プロ入り 1983年 ドラフト3位
初出場 1988年6月25日
最終出場 1999年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
橋上秀樹
YouTube
チャンネル
活動期間 2021年11月1日 -
ジャンル 野球
登録者数 7120人
総再生回数 2,681,488回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年4月15日時点。
テンプレートを表示

橋上 秀樹(はしがみ ひでき、1965年11月4日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手外野手捕手、右投右打)、プロ野球コーチYouTuber

経歴

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現役時代

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安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手へ転向し、主に守備固めや代打のほか、左投手の時にはスタメンや代打で登場することが多かった[1]

1992年には自己最多の107試合に出場し、西武との日本シリーズでも8打数5安打1本塁打とジョニー・パリデスと共にラッキーボーイ的存在になり活躍した。

1993年以降も主に控えではあったが、右の代打として活躍。

1996年オフに金銭トレードで日本ハムファイターズへ移籍。

1998年小笠原道大と共に左右の代打の切り札として活躍。

1999年は不振に終わり、同年オフに戦力外通告を受ける。ヤクルト時代の恩師で、前年のシーズンオフに監督に就任していた野村克也に請われる形で、10月22日に阪神タイガースへ移籍。

2000年は一軍へ上がれず、9月23日に戦力外通告を受け、現役を引退。

引退後

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楽天一軍ヘッドコーチ時代
(2015年 東京ドーム

引退後は現役時代から副業で営んでいたゴルフショップ「ゴルファーズマート甲子園」の経営に勤しみつつ[2]東京ドームの日本ハム戦中継の解説者も務めていた。

2005年には、既に入団していた松井優典に請われる形で、二軍外野守備・走塁コーチに就任。新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが野村の監督招聘を計画していたため、野村の野球理論を理解しているコーチを招聘していたものであった。シーズン途中から一軍外野守備・走塁コーチ。

2007年からは野村の下でヘッドコーチに昇格。

2009年シーズンには、野村の退任と同時に楽天を解雇[3]。野村は著書の中で打者分析や相手投手のクセの把握、戦術選択など意見交換できたし、よく支えてくれたと記している[4]

楽天ヘッドコーチ退任後は日刊ゲンダイで「ヘッドコーチだけが知っている野村楽天の真実」というコラムを連載し、評論家として活動。

2010年にはスカイ・エー解説者を務めた。2010年10月27日に、ベースボール・チャレンジ・リーグ新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督に就任。

2011年にはチーム史上初となるリーグチャンピオンシップに導いたが、同年限りで退団[5]

同年11月1日、読売ジャイアンツ一軍戦略コーチに就任。清武英利ゼネラルマネージャーの肝煎りで設立された戦略室の中心となる[6]2012年は、狙い球を絞っての見逃し三振を容認することで四球を増やし、チームの出塁率を改善させた。日本ハムとの日本シリーズではコーチ登録を外れ、代わりに川相昌弘二軍監督がコーチ登録されてベンチに入った。

11月5日には野球日本代表の戦略コーチを務めることが発表された[7]。11月13日に、背番号が「75」となったことが発表された[8]

2014年より一軍打撃コーチに転任して3連覇に貢献したが、同年のCSファイナルステージ敗退後の10月19日に球団へ退団を申し入れ了承された[9]

10月29日、楽天の一軍ヘッドコーチに復帰することが発表された[10]。貧打解消のための参謀役として期待されたが[11]2015年、前年のチーム打率.255、549得点がチーム打率.241、463得点、440打点と全て12球団リーグ最下位に低迷し[12][13]、順位も最下位に低迷し、シーズン最終戦終了後、翌10月7日に退団[14]

2015年10月13日に2016年から西武の一軍作戦コーチに就任することが発表された[15]

2017年からは、一軍野手総合コーチに就任することになった。

2018年は、一軍作戦コーチに肩書が変わる。2018年CSファイナルステージ敗退後の10月21日に退団が発表された。

2018年10月30日、2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチに就任することが発表された[16]。1996年以来23年ぶりの古巣復帰となる。2019年9月29日に退団が発表された[17]。11月30日、以前監督を務めた新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが、非常勤のチーム強化アドバイザー兼総合コーチとして橋上が就任することを発表した[18]。また、野球解説者としても活動する[要出典]

2020年12月24日、10年ぶりに新潟の監督に復帰することが発表された[19]。復帰2年目のシーズン中となる2022年5月28日、胆嚢炎の治療を理由に監督を休養することが発表された(投手コーチの野間口貴彦が監督代行に就任)[20]。6月2日、翌3日の練習から監督に復帰すると発表された[21]。新潟がイースタン・リーグに移り、球団名が「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」となった2024年も指揮を執ったが、同年シーズン終了後の10月22日に監督を退任することが発表された[22]

10月28日、巨人の作戦担当コーチに就任することが発表され、11年ぶりに復帰することとなった[23]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1988 ヤクルト 35 18 16 9 2 1 0 0 3 0 1 0 1 0 0 0 1 7 0 .125 .176 .188 .364
1989 42 54 52 10 18 1 1 1 24 4 4 2 1 0 1 0 0 8 1 .346 .358 .462 .820
1990 25 26 22 2 5 0 1 0 7 0 2 3 0 0 4 1 0 7 1 .227 .346 .318 .664
1991 59 215 195 29 56 9 2 5 84 17 5 0 2 0 15 0 3 45 4 .287 .347 .431 .778
1992 107 205 176 24 40 5 2 6 67 18 5 3 1 1 27 0 0 37 6 .227 .328 .381 .709
1993 49 121 105 11 32 5 0 1 40 15 5 0 1 2 13 1 0 17 1 .305 .375 .381 .756
1994 7 7 7 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .143 .143 .143 .286
1995 34 67 57 7 17 4 0 2 27 8 1 1 0 0 10 0 0 8 2 .298 .403 .474 .877
1996 16 27 24 1 4 1 0 0 5 0 0 0 0 0 3 0 0 7 2 .167 .259 .208 .468
1997 日本ハム 40 53 45 1 9 1 0 0 10 8 0 1 0 0 8 0 0 12 0 .200 .321 .222 .543
1998 91 94 83 11 25 3 0 1 31 12 5 2 1 1 9 1 0 20 2 .301 .366 .373 .739
1999 38 37 28 9 6 2 0 1 11 3 0 1 1 0 8 0 0 7 0 .214 .389 .393 .782
通算:12年 543 924 810 114 215 32 6 17 310 86 28 13 8 4 98 3 4 177 19 .265 .346 .383 .729

記録

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背番号

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  • 31(1984年 - 1992年)
  • 7(1993年 - 1996年)
  • 28(1997年 - 1999年)
  • 48(2000年)
  • 78(2005年 - 2009年、2011年、2015年、2019年)
  • 73(2012年 - 2014年、2016年 - 2018年、2020年 - 2024年)
  • 75(2025年 - )

関連情報

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著書

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  • 『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』(2010年5月28日、日本文芸社
  • 『野村の授業 人生を変える「監督ミーティング」弱小集団を変えた育成術、組織論、人生法則(2010年11月30日、日本文芸社)
  • 『そのとき野村が考えていたこと 野村克也の野球論、人材育成・組織術』(2011年2月5日、洋泉社
  • 『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』(2011年4月20日、双葉社
  • 『一流になるヤツ、二流で終わるヤツ - しのぎを削る野球界で見た「伸びるヤツ」の条件』(2012年5月1日、日本文芸社)
  • 『参謀論: プロ野球最強コーチの「組織と人を動かす」言葉』(2019年3月26日、徳間書店
  • 『常勝チームを作る「最強ミーティング」 プロ野球監督に仕える「参謀」の役割』(2020年5月28日、カンゼン
  • 『阿部慎之助の野球道』(2020年9月29日、徳間書店) - ※阿部慎之助との共著。

脚注

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  1. ^ 橋上秀樹『野村克也に挑んだ13人のサムライたち』株式会社双葉社、2011年、216ページ、ISBN 978-4-575-15371-2
  2. ^ 橋上秀樹『野村の「監督ミーティング」~選手を変える、組織を伸ばす「野村克也の教え」~』日本文芸社、2010年、102頁。
  3. ^ ノム組解体8人クビ楽天躍進後の異常人事」『日刊スポーツ』2009年10月26日。2024年10月22日閲覧
  4. ^ 野村克也著、野球のメキキ 観戦力が高まる本、2012年、東邦出版、P153
  5. ^ 橋上秀樹監督退任のお知らせ」『新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ』2011年10月24日。2011年11月5日閲覧
  6. ^ 【巨人】清武GM「戦略室」の新設を発表」『日刊スポーツ』2011年11月2日。2024年10月22日閲覧
  7. ^ 侍ジャパン コーチ人事について NPB公式サイト (2012年11月5日) 2015年4月15日閲覧
  8. ^ 侍ジャパン 監督、コーチ背番号決定のお知らせ NPB公式サイト (2012年11月13日) 2015年4月15日閲覧
  9. ^ 巨人、川口コーチ退任 橋上コーチは退団」『日刊スポーツ』2014年10月19日。2024年10月22日閲覧
  10. ^ 東北楽天 橋上氏がヘッドコーチ復帰 河北新報 2014年10月30日
  11. ^ 楽天 巨人・橋上コーチ招へい 貧打解消&参謀役期待」『スポーツニッポン』2014年10月19日。2024年10月22日閲覧
  12. ^ 2015年度 パシフィック・リーグ パシフィック・リーグ チーム打撃成績
  13. ^ 2015年度 セントラル・リーグ セントラル・リーグ チーム打撃成績
  14. ^ 来季のコーチ契約に関して 楽天公式サイト 2015年10月7日
  15. ^ 2016年度 コーチングスタッフ発表!」『埼玉西武ライオンズ』2015年10月13日。2024年10月22日閲覧
  16. ^ コーチ契約について」『東京ヤクルトスワローズ公式サイト』2018年10月30日。2018年10月30日閲覧
  17. ^ 【ヤクルト】田畑投手コーチ、石井打撃コーチ、橋上2軍チーフコーチの退団を正式発表」『スポーツ報知』2019年9月29日。2024年10月22日閲覧
  18. ^ 新コーチ決定のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2019年11月30日)
  19. ^ 新監督決定のお知らせ」『新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ』2020年12月24日。2020年12月24日閲覧
  20. ^ 橋上秀樹監督休養のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2022年5月28日)2022年5月29日閲覧。
  21. ^ 橋上秀樹監督復帰のお知らせ - 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2022年6月2日)2022年6月2日閲覧。
  22. ^ 橋上秀樹監督 退団のお知らせ - オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2024年10月22日)2024年10月28日閲覧。
  23. ^ “巨人が新体制発表 橋上秀樹氏、松本哲也氏が入閣 1軍内野守備コーチに古城茂幸氏”. サンケイスポーツ. (2024年10月28日). https://www.sanspo.com/article/20241028-FMTSAPHAJ5H6HL5HKY55FE3FCY/?outputType=theme_giants 2024年10月28日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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