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1983年のヤクルトスワローズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1983年のヤクルトスワローズ
成績
セントラル・リーグ6位
53勝69敗8分 勝率.434[1]
本拠地
都市 東京都新宿区
球場 明治神宮野球場
球団組織
オーナー 松園尚巳
経営母体 ヤクルト本社
監督 武上四郎
« 1982
1984 »

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1983年のヤクルトスワローズ(1983ねんのヤクルトスワローズ)では、1983年のヤクルトスワローズの動向をまとめる。

この年のヤクルトスワローズは、武上四郎監督の4年目のシーズンである。

概要

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過去2年間Bクラスに終わり、「今年こそ5割復帰を目指す」と意気込む武上監督は近鉄の2番手投手・井本隆ロッテの元守護神・倉持明を交換トレードで獲得し、また投手陣強化のためドラフト1位で甲子園を沸かせた早稲田実業のエース・荒木大輔をドラフト1位で獲得。打撃陣でも阪急からボビー・マルカーノが加入するなど、前年入団のダン・ブリッグスとともに中軸を形成。しかし、ベテラン松岡弘や井本の不調もあってチームは4月を5位で終了。5月以降は巻き返して巨人広島以外の4球団で8月までAクラスを争うものの、9月以降借金生活に突入。借金が前年より半減したものの、チームは2年連続の最下位に沈んだ。シーズン終了後、持病の不整脈が悪化した大杉勝男が現役を引退した。投手陣は梶間健一が14勝をあげて松岡に代わるエースとなり、尾花高夫も11勝をあげる一方で6セーブと活躍したが、期待の荒木はわずか1勝にとどまった(その1勝は5月19日の阪神戦で、途中から尾花の救援を仰いだ)。打撃陣はマルカーノが主に4番・5番を打ち、打線の活性化に大きく貢献した。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 水谷新太郎
2 角富士夫
3 若松勉
4 杉浦享
5 マルカーノ
6 ブリッグス
7 渡辺進
8 八重樫幸雄
9 尾花高夫
1983年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 広島 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 阪神 3.5 広島 8.0 広島 5.0 巨人 0.5 広島 6.0 広島 7.5 広島 6.0
3位 中日 5.0 阪神 12.5 ヤクルト 12.5 ヤクルト 11.5 中日 12.5 大洋 15.0 大洋 11.0
4位 広島 5.5 ヤクルト 13.0 中日 14.0 大洋 12.5 大洋 13.0 中日 阪神 11.5
5位 ヤクルト 大洋 16.0 大洋 14.0 阪神 阪神 14.0 阪神 15.5 中日 18.5
6位 大洋 7.5 中日 16.5 阪神 14.5 中日 14.0 ヤクルト 14.5 ヤクルト 19.0 ヤクルト 19.0


1983年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 72 50 8 .590 優勝
2位 広島東洋カープ 65 55 10 .542 6.0
3位 横浜大洋ホエールズ 61 61 8 .500 11.0
4位 阪神タイガース 62 63 5 .496 11.5
5位 中日ドラゴンズ 54 69 7 .439 18.5
6位 ヤクルトスワローズ 53 69 8 .434 19.0

オールスターゲーム1983

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  • 監督推薦
松岡弘
梶間健一
若松勉

選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし
ダイヤモンドグラブ賞
選出なし

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 高野光 投手 東海大学 入団
2位 池山隆寛 内野手 市立尼崎高 入団
3位 橋上秀樹 捕手 安田学園高 入団
4位 桜井伸一 内野手 成田高 入団
5位 加藤正次 投手 日本通運 入団
6位 金敷一美 外野手 東芝府中 入団

出典

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  1. ^ 年度別成績 1983年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月12日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7