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1957年の国鉄スワローズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1957年の国鉄スワローズ
成績
セントラル・リーグ4位
58勝68敗4分 勝率.460[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
経営母体 日本国有鉄道
監督 宇野光雄
« 1956
1958 »

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1957年の国鉄スワローズ(1957ねんのこくてつスワローズ)では、1957年の国鉄スワローズの動向をまとめる。

この年の国鉄スワローズは、この年から監督専任となった宇野光雄監督の2年目のシーズンである。

概要

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年齢が衰えていた宇野監督は前年のシーズンを終了後、現役を引退して監督に専念。チームは前年優勝の巨人が開幕から出遅れたこともあり、球団創設以来初のAクラス入りが期待されたものの4月は首位の中日に6ゲームも離されて終了。5月以降はチームを立て直し、広島と最終盤まで4位争いを演じた。最終的に広島を突き放して2年連続の4位を勝ち取ったが、巨人の3連覇を許してシーズンを終えた。借金は前年の1ケタから再び2ケタに増えたものの、それでも優勝の巨人に14勝11敗1分で勝ち越し、念願の巨人戦勝ち越しを果たした。投手陣はこの年も金田正一田所善治郎らが中心投手として活躍し防御率も2.74を記録し、打撃陣では前年まで南海でプレーしていた飯田徳治が加入したこともあり、83本塁打がリーグ2位、チーム打率が.226と打線が若干強化された。しかし、投打のアンバランスは解消されずAクラスに入るのはそれから4年後の1961年、宇野監督の辞任後まで待つことになる。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 鵜飼勝美
2 佐々木重徳
3 箱田淳
4 飯田徳治
5 佐藤孝夫
6 町田行彦
7 土居章助
8 佐竹一雄
9 田所善治郎
1957年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 中日 -- 中日 -- 中日 -- 中日 -- 大阪 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大阪 0.5 大阪 3.0 巨人 1.5 大阪 3.0 巨人 0.0 中日 3.0 大阪 1.0
3位 巨人 3.0 巨人 5.0 広島 2.5 巨人 3.5 中日 1.0 大阪 3.0 中日 4.0
4位 広島 4.0 広島 7.0 大阪 3.0 広島 7.0 国鉄 9.0 国鉄 15.5 国鉄 15.5
5位 国鉄 6.5 国鉄 8.5 国鉄 6.5 国鉄 7.5 広島 10.5 広島 17.5 広島 21.0
6位 大洋 10.0 大洋 15.5 大洋 16.5 大洋 21.0 大洋 15.5 大洋 18.0 大洋 21.5
1957年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 74 53 3 .583 優勝
2位 大阪タイガース 73 54 3 .575 1.0
3位 中日ドラゴンズ 70 57 3 .551 4.0
4位 国鉄スワローズ 58 68 4 .460 15.5
5位 広島カープ 54 75 1 .419 21.0
6位 大洋ホエールズ 52 74 4 .413 21.5

オールスターゲーム1957

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ファン投票 金田正一
監督推薦 箱田淳 飯田徳治 町田行彦

できごと

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選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
佐藤孝夫 本塁打王 22本 初受賞
飯田徳治 盗塁王 40個 初受賞
金田正一 最優秀防御率 1.63 初受賞
最多勝利 28勝 初受賞
沢村賞 2年連続2度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
金田正一 投手 初受賞

出典

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  1. ^ 年度別成績 1957年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月31日閲覧。
  2. ^ 無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月17日閲覧。
  3. ^ スワローズ激動の歩み (徳永喜男 ed.), 恒文社, (1980), p. 452~453