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高屋俊夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高屋 俊夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区
生年月日 (1938-12-28) 1938年12月28日(85歳)
身長
体重
176 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1957年
初出場 1957年
最終出場 1960年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

高屋 俊夫(こうや としお、1938年12月28日 - )は、埼玉県[1]大宮市(現在のさいたま市大宮区)出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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大宮高校から1957年国鉄スワローズへ入団[1]。同期に村田元一茂木忠之がいる。1年目から一軍で登板し、3年目の1959年には自己最多の25試合(うち先発2試合)に登板した。1960年までで通算32試合に登板したが、主にビハインドの場面で投げることが多く、勝利することは出来なかった。

監督が宇野光雄から砂押邦信に交代した1961年にはイースタン・リーグ最多勝を獲得したが、一軍で登板することはなくこの年限りで引退した[1]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1957 国鉄 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 20 5.0 3 1 3 0 0 5 0 0 2 2 3.60 1.20
1958 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 5 0.1 2 0 1 0 0 0 0 0 3 1 9.00 9.00
1959 25 2 0 0 0 0 0 -- -- ---- 138 32.1 32 2 16 0 1 10 0 0 19 16 4.36 1.48
1960 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 23 4.0 9 0 1 0 0 4 0 0 7 5 11.25 2.50
通算:4年 32 2 0 0 0 0 0 -- -- ---- 186 41.2 46 3 21 0 1 19 0 0 31 24 5.14 1.61

背番号

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  • 57 (1957年)
  • 32 (1958年 - 1961年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、216ページ

関連項目

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外部リンク

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