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1983年の日本ハムファイターズ(1983ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1983年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、大沢啓二監督の8年目のシーズンである。
過去2年間勝率1位(1981年は優勝、1982年は2位)のチームは2年ぶりの優勝を期待されたが、開幕ダッシュに失敗して西武の独走を許した。5月末には西武に3タテを食らわせて6.5ゲーム差に縮めるものの、その直後に3連勝でお返しされた。夏場以降は阪急との2位争いが続いたが9月以降は負けが込み、優勝の西武に20.5ゲーム離され結局3位で終了した。投手陣は前年20勝をあげて後期優勝(前年まではパ・リーグは前期・後期の二期制だった)の立役者となった工藤幹夫が右肩痛で8勝と、勝ち星が半減。それ以外の投手も工藤につられる様に成績を落とし、守護神の江夏豊とリリーフで11勝をあげた川原昭二しか頼れる投手がいなかったが、それでもチーム防御率は西武に次ぐ2位の3.82を記録した。打撃陣では二村忠美が入団して新人王を獲得、柏原純一・島田誠・トミー・クルーズなども例年通りの成績を残してチーム打率はリーグ2位、本塁打もリーグ3位と健闘した。ところが大沢監督がこの年限りで勇退し、新監督には植村義信投手コーチが昇格した。シーズン終了後、1976年に富田勝とともに巨人から移籍し投手陣の柱として活躍した高橋一三が引退、江夏が柴田保光との交換トレードで西武に移籍した。また4年連続で30本塁打以上と活躍し、1981年の優勝に貢献したトニー・ソレイタも退団するなど戦力が弱体化し始め、翌年の最下位転落の一因となった。
1983年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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西武 |
--
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西武 |
--
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西武 |
--
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西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
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2位
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ロッテ |
0.5
|
阪急 |
8.0
|
日本ハム |
12.0
|
日本ハム |
14.0
|
日本ハム |
11.5
|
阪急 |
16.0
|
阪急 |
17.0
|
3位
|
阪急 |
2.5
|
日本ハム |
8.5
|
阪急 |
12.0
|
阪急 |
14.5
|
阪急 |
15.0
|
日本ハム |
18.0
|
日本ハム |
20.5
|
4位
|
日本ハム |
3.5
|
南海 |
9.0
|
南海 |
15.0
|
南海 |
16.0
|
近鉄 |
21.0
|
近鉄 |
26.0
|
近鉄 |
29.5
|
5位
|
南海 |
4.0
|
近鉄 |
11.0
|
近鉄 |
15.0
|
近鉄 |
16.5
|
南海 |
25.0
|
南海 |
28.5
|
南海 |
31.5
|
6位
|
近鉄 |
4.5
|
ロッテ |
11.5
|
ロッテ |
21.0
|
ロッテ |
26.0
|
ロッテ |
32.5
|
ロッテ |
37.5
|
ロッテ |
39.5
|
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[2]
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |