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1971年の東映フライヤーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1971年の東映フライヤーズ
成績
パシフィック・リーグ5位
44勝74敗12分 勝率.373[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場\
球団組織
オーナー 大川博(8月17日まで)
大川毅(8月18日以降)
岡田茂(代行・8月18日以降)
経営母体 東映
監督 田宮謙次郎
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1972 »

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1971年の東映フライヤーズ(1971ねんのとうえいフライヤーズ)では、1971年の東映フライヤーズの動向をまとめる。

この年の東映フライヤーズは、田宮謙次郎監督の2年目(途中就任の前年を含む)のシーズンである。

概要

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この年は開幕2戦目の西鉄戦で19安打15得点と大暴れしたものの、4月20日から9連敗して早々脱落。その後は5月3日のロッテ戦で5者連続本塁打、8月21日には高橋善正が西鉄戦で完全試合を達成したのが目立つ程度で、4位の南海に13ゲーム差の5位だった。悪い事は重なるもので、シーズン中の8月17日に大川博オーナーが死去し、博の長男でオーナー代行の大川毅が新オーナーに、岡田茂新東映社長がオーナー代行に。しかし大川博の後を受けた大川毅と岡田茂には球団経営の意欲がなく、フライヤーズの運命に黄信号が灯りだした。シーズンオフには大橋穣種茂雅之阪急阪本敏三岡村浩二佐々木誠吾との交換トレードが成立。大橋は移籍先の阪急で大いに活躍して翌1972年の優勝に貢献し、阪急黄金時代の立役者の一人となった。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 大下剛史
2 大橋穣
3 張本勲
4 大杉勝男
5 クリスチャン
6 萩原千秋
7 松村正晴
8 種茂雅之
9 金田留広
1971年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 近鉄 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 --
2位 阪急 0.5 ロッテ 2.5 ロッテ 6.5 ロッテ 1.0 ロッテ 3.5 ロッテ 3.5
3位 西鉄 1.0 近鉄 6.5 近鉄 14.0 近鉄 15.0 近鉄 15.5 近鉄 18.0
4位 南海 1.5 南海 12.0 南海 17.0 南海 14.5 南海 16.5 南海 22.5
5位 ロッテ 2.0 東映 13.5 東映 21.0 東映 24.0 東映 28.0 東映 35.5
6位 東映 7.0 西鉄 西鉄 24.5 西鉄 26.5 西鉄 32.5 西鉄 43.5


1971年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 80 39 11 .672 優勝
2位 ロッテオリオンズ 80 46 4 .635 3.5
3位 近鉄バファローズ 65 60 5 .520 18.0
4位 南海ホークス 61 65 4 .484 22.5
5位 東映フライヤーズ 44 74 12 .373 35.5
6位 西鉄ライオンズ 38 84 8 .311 43.5

[1]

オールスターゲーム1971

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ファン投票 大下剛史
監督推薦 皆川康夫 金田留広 張本勲

できごと

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選手・スタッフ

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[4]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
皆川康夫 新人王
大杉勝男 本塁打王 41本 2年連続2度目
最多安打 154本 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
大杉勝男 一塁手 3年連続4度目

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 横山晴久 投手 法政大学 入団
2位 保坂英二 投手 日本大学第一高 入団
3位 平井信司 内野手 日拓観光 拒否
4位 宇田東植 投手 本田技研 入団
5位 内正英 捕手 日本熱学 拒否
6位 鎌野裕 投手 日本楽器 入団
7位 千藤三樹夫 外野手 北海道拓殖銀行 入団
8位 山下茂之 投手 鹿児島照国高 拒否・本田技研入社
9位 野村茂 捕手 日本生命 拒否

出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1971年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年6月14日閲覧。
  2. ^ 毎日新聞1971年5月4日18面「連敗東映 1度"死んで"豪打復活 10回怒りの5連続ホーマー "ゲームセット"から大逆襲」毎日新聞縮刷版1971年5月p93
  3. ^ 毎日新聞1971年8月22日19面「高橋善(東映)が完全試合 12人目の大記録」毎日新聞縮刷版1971年8月p661
  4. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 123