芳川周二
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芳川 周二(よしかわ しゅうじ、1903年8月25日 - 1992年3月3日)は、日本の銀行家。関西相互銀行(現在の関西アーバン銀行)社長を務めた。広島県広島市出身[1]。
経歴
[編集]1926年に山口高等商業学校を卒業し、同年に住友銀行に入行[1]。1958年10月に関西相互銀行専務に就任し、1968年4月には社長に就任[1]。1973年11月に取締役相談役と明光証券社長に就任し、1978年12月に会長を経て、1982年3月から取締役相談役を務めた[1]。
1970年10月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲五等双光旭日章を受章した[1]。
1992年3月3日急性心筋梗塞のために死去[2]。88歳没。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第36版 下』人事興信所、1991年。