若島幸右エ門
表示
若島 幸右エ門(わかしま こうえもん、1872年(明治5年) - 1902年(明治35年)5月28日)は、京都府愛宕郡白川村(現・京都市左京区北白川)出身の大相撲力士。本名は西村 金次郎(一時中井姓)。身長175cm、体重114kg。主に大阪相撲で活躍し最高位は大関(大阪)前頭7枚目(東京)。
略歴
[編集]8代千田川に入門。玉ヶ関の名で1892年(明治25年)9月四段目に出たのが初見。二段目まで上がった後、1895年(明治28年)1月東京に加入。2代八角の門人となり若嶋 幸右エ門の名で幕下に付け出された。段違いの相撲ぶりで同年6月十両、翌1896年(明治29年)1月入幕を果たした。5月前頭7枚目まで上がり若島幸右エ門に改名し、5勝2敗2分の好成績を残すがこの場所限りで帰阪した。
同年9月張出前頭、1898年(明治31年)4月には小結に進む。この場所東京から若嶌大五郎が大阪に加入することとなり、初日から秀の海 幸右エ門と改めた。同年10月関脇、1899年(明治32年)6月大関昇進を果たした。
175cm114kg男前でキビキビした取り口は人気が高く若嶌(大)の好敵手として活躍するが、心臓病を患い大関3場所数え30歳で1901年(明治34年)5月限りで引退した。一代頭取秀の海となるも翌1902年(明治35年)5月28日数え31歳で急死。
実弟も玉ヶ関竹二郎と名乗り東京相撲で三段目まで進んだが、船の転覆により21歳で死去した。
幕内2場所 7勝6敗4分1休(東京)
幕内7場所 27勝13敗6分6預(大阪、明治30年9月以降)
参考文献
[編集]- 「大相撲人物大事典」、2001年 ISBN 9784583036403