茂野六花
茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日 - 1985年(昭和60年)11月24日)は、日本の俳人、医師、法医学者。医学博士。第9代新潟大学学長、新潟大学医学部第12代学部長。本名は茂野 錄良(しげの ろくろう)。
略歴
[編集]新潟県新潟市出身。1943年(昭和18年)11月に新潟中学校を繰り上げ卒業、1945年(昭和20年)10月に海軍兵学校を卒業、1950年(昭和25年)3月に新潟医科大学を卒業。
1951年(昭和26年)7月に新潟大学新潟医科大学法医学教室助手に就任、同年9月から同教室教授で俳人の高野素十から俳句の指導を受け、「六花」の俳号を授かった[1][2]。
1953年(昭和28年)4月に新潟大学医学部法医学教室助手に就任、1954年(昭和29年)8月に新潟大学医学部法医学教室(担任:山内峻呉教授)講師に就任。
1956年(昭和31年)5月に新潟大学医学部法医学教室助教授に就任、同年7月に新潟大学から医学博士号を取得、1961年(昭和36年)2月から新潟大学名誉教授で俳人の中田みづほの句会に参加した[1][2]。
1968年(昭和43年)5月に新潟大学医学部法医学教室第4代教授に就任、1981年(昭和56年)10月に新潟大学医学部第12代学部長に就任[注 1]、1982年(昭和57年)5月に日本法医学会総会で講演した。
1985年(昭和60年)10月9日に第9代新潟大学学長に就任[4][注 2]、11月18日午前に新潟大学五十嵐キャンパスの大学本部の学長室で倒れ、11月24日午後3時36分に新潟大学医学部附属病院で急性心筋梗塞による心不全のため死去[5]。
血液型学の研究、ガスクロマトグラフによるアルコール濃度測定などの裁判化学の研究、ミイラや死蝋化死体などの陳旧死体の研究に従事したほか[6]、水中死体の個別識別に関する業績を残した[7]。
栄典・表彰
[編集]- 1980年(昭和55年) 7月 - 警察庁長官警察協力章[8]
- 1981年(昭和56年) 1月 - 法務大臣感謝状[8]
- 1985年(昭和60年)11月24日 - 従三位[9]・勲三等旭日中綬章[10]
著書
[編集]- 『茂野六花全句集』茂野六花全句集刊行委員会[編]、新潟日報事業社、1986年。
論文
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1985年(昭和60年)10月に退任[3]。
- ^ 新潟大学商業短期大学部学長と新潟大学医療技術短期大学部学長を兼任。
出典
[編集]- ^ a b 茂野六花|ニイガタカラ.Net - 新潟市
- ^ a b 『茂野六花全句集』320頁。『新潟ゆかりの文人たち 杖のとめどころ』198頁。『新潟日報』1985年11月25日付朝刊、1面。『日本近現代 医学人名事典 1868-2011』307頁。『事典 日本の科学者 科学技術を築いた5000人』384頁。
- ^ 『新潟大学医学部百年史』60-61・498頁。
- ^ 沿革・歴代学長 | 大学案内 - 新潟大学
- ^ 『新潟日報』1985年11月25日付朝刊、1面。
- ^ 『新潟大学医学部七十五年史 下巻』140頁。
- ^ 『日本近現代 医学人名事典 1868-2011』307頁。『事典 日本の科学者 科学技術を築いた5000人』384頁。
- ^ a b 『茂野六花全句集』321頁。『新潟大学学報』号外、2頁。『新大広報』第79号、2頁。
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』第17657号、12頁、大蔵省印刷局、1985年12月18日。
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』第17657号、13頁、大蔵省印刷局、1985年12月18日。
参考文献
[編集]- 「茂野録良」『日本近現代 医学人名事典 1868-2011』307頁、泉孝英[編]、医学書院、2012年。
- 「茂野録良」『事典 日本の科学者 科学技術を築いた5000人』384頁、板倉聖宣[監修]、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2014年。
- 「茂野六花年譜」『茂野六花全句集』319-321頁、茂野六花全句集刊行委員会[編]、新潟日報事業社、1986年。
- 「茂野六花 新潟大学学長の温かい思いやりの俳句」『新潟ゆかりの文人たち 杖のとめどころ』198-199頁、谷川敏朗[著]、考古堂書店、1992年。
- 「血液型・司法解剖の権威 茂野新大学長が死去」『新潟日報』1985年11月25日付朝刊、1面、新潟日報社、1985年。
- 「故 茂野錄良学長のあゆみ」『新潟大学学報』号外、2頁、新潟大学庶務部庶務課、1985年。
- 「故 茂野錄良学長のあゆみ」『新大広報』第79号、2頁、新潟大学広報委員会、1986年。
- 『新潟大学医学部七十五年史 下巻』新潟大学医学部創立七十五周年記念事業期成会・新潟大学医学部学士会[編]、新潟大学医学部創立七十五周年記念事業期成会・新潟大学医学部学士会、1994年。
- 『新潟大学医学部百年史』新潟大学医学部創立100周年記念事業準備会・新潟大学医学部学士会[編]、新潟大学医学部創立100周年記念事業準備会・新潟大学医学部学士会、2010年。
関連文献
[編集]- 「学長就任の挨拶」『新大広報』第78号、9-12頁、茂野錄良[著]、新潟大学広報委員会、1985年。
- 「学長就任のあいさつ」『新潟大学学報』第473号、6264-6267頁、茂野錄良[著]、新潟大学庶務部庶務課、1985年。
- 「弔辞」『新潟大学学報』号外、4-13頁、松永光・森亘・君健男・猪初男・ほか[著]、新潟大学庶務部庶務課、1985年。
- 「「早過ぎた死」に衝撃 茂野学長失った新大 総合大学院へ痛手も」『新潟日報』1985年11月25日付朝刊、19面、新潟日報社、1985年。
- 「新大学長 茂野君を悼む (PDF) 」『青山同窓会報』第42号、4面、金子富策[著]、青山同窓会、1986年。