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茶屋町 (岡山県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ちゃやちょう
茶屋町
茶屋町章
茶屋町章
廃止日 1972年5月1日
廃止理由 編入合併
茶屋町 → 倉敷市
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
都窪郡
市町村コード 33422-7
面積 5.27 km2.
総人口 8,172
(1972年5月1日)
隣接自治体 岡山市、倉敷市、早島町
茶屋町役場
所在地 岡山県都窪郡茶屋町帯江新田187
座標 北緯34度34分46.5秒 東経133度49分42.6秒 / 北緯34.579583度 東経133.828500度 / 34.579583; 133.828500 (茶屋町)
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茶屋町(ちゃやちょう)は、かつて岡山県都窪郡にあったである。1972年昭和47年)5月1日倉敷市に編入され廃止された。現在は同市の茶屋町地区となっている。ここでは、町制施行前の名称である江島村(えじまそん)についても述べる。

歴史

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行政の変遷

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明治になり、1870年明治3年)11月に早島沖新田村・帯江沖新田村はそれぞれ早島新田村・帯江新田村に改称。また宮崎村(現在の早島町早島の一部)枝村であった宮崎割新田村は宮崎村に併合された。1875年(明治8年)に宮崎村のうちの旧宮崎割新田分が早島新田に併合される。1889年(明治22年)には早島新田・帯江新田両村が合併し、江島村(えしまそん)を新設。名称は両村名から一文字ずつ合わせたものである。そして1896年(明治29年)に町制を施行し、その際に茶屋町(ちゃやちょう)に改称する。その後、1947年(昭和22年)1月に興除村より旧鶴崎村域を茶屋町へ移管。1951年(昭和26年)3月に豊洲村の高須賀の内の旧添新田分(旧帯江領)が、豊洲村の倉敷市編入の絡みで、当地へ移管した。これにより現在の茶屋町の区域が確定した[1][2][3]

1972年(昭和47年)5月1日に倉敷市(新)に編入合併し、同茶屋町支所の管轄下となる。なお、合併後は当地の読み方は「ちゃやまち」に変更された。

年表

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  • 1704年(宝永元年)- 早島戸川氏戸川安貞が早島沖新田、帯江戸川氏の戸川安広が帯江沖新田をそれぞれ開発に着手する(1707年完成)。
  • 1731年(享保16年)- 綿花やい草の栽培、畳表や小倉織の生産が始まる。
  • 1850年(嘉永3年)- 東高梁川の安江・四十瀬の土手が決壊、大洪水が起きる。
  • 1870年(明治2年)- 早島新田村、帯江新田村になる。
  • 1878年(明治11年)- 磯崎眠亀錦莞莚を発明。
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制が施行され早島新田村と帯江新田村が合併し、両村よりそれぞれ一字を取って江島村になる。
  • 1890年(明治23年)- 桜橋付近に芝居小屋「栄座」ができる(後に映画館になり、昭和30年閉館)。
  • 1896年(明治29年)2月26日 - 江島村が町制施行し、都宇郡茶屋町へ移行。
  • 1900年(明治33年)4月1日 - 都宇郡が窪屋郡と合併し、都窪郡となる。
  • 1910年(明治43年)6月12日 - 宇野線茶屋町駅開業。
  • 1913年(大正2年)11月11日 - 下津井軽便鉄道が茶屋町駅に乗り入れる。
  • 1931年(昭和6年)- 倉敷を結ぶ県道(倉敷飽浦線)が開通し、茶屋町橋が架けられる。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 児島郡興除村大字西疇のうち字鶴崎の区域を都窪郡茶屋町に編入。
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月1日 - 下津井電鉄線のうち茶屋町 - 児島間が廃止。
    • 5月1日 - 茶屋町が倉敷市に編入合併される。
  • 1973年(昭和48年)5月 - 現在の茶屋町支所が竣工。旧町役場は解体される。
  • 1988年(昭和63年)3月20日 - 本四備讃線茶屋町〜児島間開業。
  • 2006年(平成18年)- 干拓300周年記念行事が行われ、駅前の広場に記念碑が建てられる。茶屋町商工会が早島・庄と合併し「つくぼ商工会」になる。
  • 2007年(平成19年)3月5日 - 郵便番号が709-11xxから710-11xxに変更される。

行政

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歴代首長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
佐藤禎太郎 1889年(明治22年)9月19日 1893年(明治26年)4月5日 江島村新設
2 平田善策 1893年(明治26年)4月6日 1897年(明治30年)7月8日 1896年2月26日 町制施行・茶屋町へ改称
3 槙尾常五郎 1897年(明治30年)7月9日 1903年(明治36年)11月24日
4 中田静雄 1903年(明治36年)12月16日 1916年(大正5年)12月18日
5 西川順蔵 1916年(大正5年)12月18日 1917年(大正6年)7月28日
6 平島済 1917年(大正6年)7月28日 1918年(大正7年)6月24日
畑高太郎 1918年(大正7年)6月24日 1918年(大正7年)10月11日 代理
7 姫井繁次 1918年(大正7年)10月12日 1931年(昭和6年)9月30日
8 河西一郎 1932年(昭和7年)3月26日 1940年(昭和15年)1月15日
9 野田徳三郎 1940年(昭和15年)5月25日 1946年(昭和21年)10月28日
10 安原増夫 1947年(昭和22年)4月6日 1951年(昭和26年)4月5日
11 米谷昇平 1951年(昭和26年)4月23日 1952年(昭和27年)5月4日
12 福山恒治 1952年(昭和27年)5月27日 1956年(昭和31年)5月26日
13 姫井三亀男 1956年(昭和31年)5月27日 1972年(昭和47年)4月30日

町議会議長・副議長

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昭和22年4月の地方自治法施行以降の茶屋町町議会議長を記す。

議長
氏名 就任年月日 備考
大野半三郎 昭和22年4月 昭和25年1月辞職
平田旭治 昭和25年1月
柏原弥市郎 昭和26年4月 昭和27年5月議会総辞職
平田旭治 昭和27年6月
平田旭治 昭和31年5月
吉本健次 昭和35年5月
(不明) 昭和39年6月
(不明) 昭和35年5月 昭和47年5月1日、茶屋町が倉敷市へ編入合併
副議長
氏名 就任年月日 備考
窪津浅市 昭和22年4月 昭和25年8月 任期中死去
佐藤市二 昭和25年8月
渡辺清吾 昭和26年4月 昭和27年5月議会総辞職
田辺秀雄 昭和27年6月 昭和28年7月 任期中死去
大西靏一 昭和28年7月
大河政雄 昭和31年5月
山本鹿男 昭和35年5月
(不明) 昭和39年6月
(不明) 昭和35年5月 昭和47年5月1日、茶屋町が倉敷市へ編入合併

脚注

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  1. ^ 茶屋町史刊行委員会『改訂版 茶屋町史』1989年
  2. ^ 茶屋町干拓三百年記念事業実行委員会『茶屋町干拓三百年』2006年
  3. ^ 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』(1981年)平凡社

関連項目

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