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荒木栄蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

荒木 栄蔵荒木 榮藏[1][2][3]、あらき えいぞう、旧姓・鍵岡1865年3月5日慶応元年2月8日[4] - 1934年昭和9年)9月24日[5])は、日本商人皮革[1][6][7]、皮革貿易[8])、資産家[9]実業家。族籍は大阪府平民[2][4]

経歴

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和歌山市生まれ[3]。鍵岡總四郎の三男[2][8][10]1881年[3]、荒木栄蔵の養子となる[4]1913年に先代が逝去し[3]、義弟栄典の後を襲い家督を相続する[6][8]

荒木商店という商号の下に家業を継承し、皮革貿易商に従事する[3]。六甲製革取締役[4]、西浜土地建物取締役[8]・同社長[11]、共榮合名会社代表社員などをつとめる[8]。また公共事業に尽力する[3]賞勲局総裁より褒章を、また日本赤十字社社長より有功章を下賜される[3]

人物

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西浜部落の大資産家である[9]。趣味は生花、茶の湯[3]。住所は大阪市南区木津北島町二丁目[7]、浪速区栄町二丁目[1][2][3][8]

家族・親族

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荒木家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c 『日本紳士録 第33版』大阪アの部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月25日閲覧。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第7版』あ70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『大阪商工組合大鑑 大礼紀念』238頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』あ54 - 55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月24日閲覧。
  5. ^ 『官報 1934年11月15日』官報 第2363号 404頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月26日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第9版』ア134頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月25日閲覧。
  7. ^ a b 『大阪人士商工銘鑑』317頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月24日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第10版 上』ア178頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月24日閲覧。
  9. ^ a b 『部落の人豪』116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月18日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 『人事興信録 第8版』ア118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月25日閲覧。
  11. ^ 『帝国銀行会社要録 附・職員録 大正11年』大阪府 41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月29日閲覧。
  12. ^ 『帝国名望家大全』110頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月16日閲覧。
  13. ^ a b 『人事興信録 第3版』あ89(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月6日閲覧。
  14. ^ 『官報 1932年03月23日』官報 第1566号 10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月7日閲覧。

参考文献

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  • 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
  • 芝弥一郎編『大阪人士商工銘鑑』大阪人士商工銘鑑発行所、1902年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 蘇人寺田勇吉『部落の人豪』藤屋商店出版部、1920年。
  • 帝国興信所編『帝国銀行会社要録 附・職員録 大正11年』帝国興信所、1922年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 実業社編『大阪商工組合大鑑 大礼紀念』実業社、1929年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第33版』交詢社、1929年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1932年03月23日』日本マイクロ写真、1932年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1934年11月15日』日本マイクロ写真、1934年。