西森源兵衛 (1894年生の実業家)
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西森 源兵衛[1](にしもり げんべえ、前名・豊一[2][3][4]、1894年(明治27年)10月[5][6] - 没年不明)は、日本の商人(皮革商)[3][5][6]、会社役員。
経歴
[編集]大阪府大阪市南区西浜南通2丁目生まれ[2]。西森源兵衛の長男[5][6][7]。生家は代々皮革の卸問屋である[2]。1931年、家督を相続し、前名・豊一を改め襲名する[5][6]。皮革商を営み、原皮移入取締役である[5][6]。
人物
[編集]西森源兵衛について、『商工資産信用録 第36回 近畿版』には「職業・皮革、調査年月・1935年1月、正身身代・J、信用程度・A」とある[8]。
『帝国信用録 第32版』には「職業・皮革、開業年月・明治15年」とある[1]。
住所は大阪市浪速区西浜南通2丁目[5][6](現・浪速西[9])。
家族・親族
[編集]- 西森家
- 父・源兵衛[2][10](1866年 - 1931年[11]、前名・豊次郎[4]、大阪平民[10]、兵庫県人・岡島文吉の四男[4]あるいは弟[7][10]で、西森源兵衛の養子[4][10]、皮革貿易商[4]、皮革商[7]、西浜土地建物取締役[11])
- 養弟・英一[10](1896年 - ?、大阪、荒木栄蔵の長男[10]、家主[3])
- 妻・かのゑ(1901年 - ?、兵庫、岡島加之吉の二女)[4][7]
- 娘[5][6]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b 『帝国信用録 第32版』大阪府ニ189頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月23日閲覧。
- ^ a b c d 『大阪新人大観』486、489頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月15日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第36版』大阪ニの部210頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月23日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』ニ49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第14版 下』ニ56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 下』ニ56 - 57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月23日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第8版』ニ53 - 54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月15日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第36回 近畿版』大阪府に之部52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月23日閲覧。
- ^ 『摂津役人村文書』24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第7版』に45 - 46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月23日閲覧。
- ^ a b 『官報 1931年12月19日』官報 第1493号 4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 升谷安治編『大阪新人大観』大阪新人大観編纂局、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1931年12月19日』日本マイクロ写真、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
- 『商工資産信用録 第36回 近畿版』商業興信所、1935年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第32版』帝国興信所、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 編集解説者 盛田嘉徳『摂津役人村文書』大阪市浪速同和教育推進協議会、1970年。