西森源兵衛 (1839年生の実業家)
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西森 源兵衛(にしもり げんべえ、旧姓・岡島、幼名・浅次郎[1]、1839年9月(天保10年8月)[2] - 1917年(大正6年)[3])は、日本の商人(皮革商)[1][2]、実業家、政治家。西浜倉庫社長[2][4]。大阪府西成郡西浜町長[2]。大阪府会議員[2]。大阪市会議員[2]。
人物
[編集]淡路国(のち兵庫県津名郡志筑町[1]、現淡路市)生まれ。幼時に西森家に入り養嗣子となる[1]。養父没後家督を相続し襲名する[1]。以来熱心に業務に従事する[1]。
大阪府西成郡栄町戸長、西浜町会議員及び町長となり1897年に同町が大阪市に編入されると、以来区会、市会、府会に議員としてその席に列する[2]。
日清戦争に際し、金100円を献じ木盃を賜る[2]。遠州流生け花を嗜む[1]。日本赤十字社終身社員である[2]。住所は大阪市浪速区西浜南通2丁目[1][3](現・浪速西[5])。
家族・親族
[編集]- 西森家
西森家は代々皮革商を営む[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』に17 - 18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『赤十字名鑑 博愛慈善 第1輯』35 - 36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月16日閲覧。
- ^ a b c d 『大阪商工組合大鑑 大礼紀念』238 - 239頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月27日閲覧。
- ^ 『大阪実業人名鑑』商業部株式会社之部17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年4月20日閲覧。
- ^ 『摂津役人村文書』24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月10日閲覧。
- ^ a b 『大阪新人大観』486、489頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月16日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』に45 - 46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月16日閲覧。
- ^ 『大阪府市名誉職大鑑 第2編』122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月23日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第5版』あ54 - 55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 山添徳蔵、太田幾太郎編『大阪実業人名鑑』大阪広告商報社、1896年。
- 横田文之助編『赤十字名鑑 博愛慈善 第1輯』赤十字名鑑編纂所、1907年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 升谷安治編『大阪新人大観』大阪新人大観編纂局、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 実業社編『大阪商工組合大鑑 大礼紀念』実業社、1929年。
- 自治名誉職協会編『大阪府市名誉職大鑑 第2編』自治名誉職協会、1935年。
- 編集解説者 盛田嘉徳『摂津役人村文書』大阪市浪速同和教育推進協議会、1970年。