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菅生 (川崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅生
町丁
聖マリアンナ医科大学
地図北緯35度35分53秒 東経139度33分11秒 / 北緯35.598033度 東経139.553003度 / 35.598033; 139.553003
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川
市町村 川崎市
行政区 宮前区
地区 向丘出張所
人口情報2024年(令和6年)6月30日現在[1]
 人口 12,375 人
 世帯数 5,897 世帯
面積[2]
  1.454469116 km²
人口密度 8508.26 人/km²
設置日 1986年(昭和61年)11月23日
郵便番号 216-0015[3]
市外局番 044(川崎MA[4]
ナンバープレート 川崎
ウィキポータル 日本の町・字
神奈川県の旗 ウィキポータル 神奈川県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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菅生(すがお)は、神奈川県川崎市宮前区町名。現行行政地名は菅生1丁目から菅生6丁目、住居表示実施済区域[5]。面積は1.454km2[2]

地理

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宮前区の北部に位置し、神奈川県道13号横浜生田線が域内を貫通している。一帯は住宅地となっているほか、聖マリアンナ医科大学と、地域医療の拠点ともなっているその付属病院も所在している。宅地開発により、一部では地図混乱地域が発生した。

菅生の北端では菅生ケ丘初山多摩区長沢三田枡形と、東端から南東にかけて犬蔵と、南西端では水沢、南端には美しが丘(横浜市)と接している(特記のない町名は宮前区)。

地価

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住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、菅生3-39-4の地点で17万8000円/m²[6]、菅生5-7-12[7]の地点で18万3000円/m²となっている。

歴史

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この地からは縄文時代前期の菅生カネヅカ遺跡が発掘されている[8]。「菅生」という語は鎌倉初期の文献に、「菅生郷」として登場しており、この当時は国衙領であったと考えられている[9]1559年永禄2年)の小田原衆所領役帳には、小机衆高田玄蕃助が「三十貫文 小机 菅生内」、同人の寄子分として「三十貫文 同 菅生内」と記載されており[10][11][12]、この当時には「上菅生」と「下菅生」に分かれていなかったことがうかがえる。

江戸時代初期には上菅生村と下菅生村に分かれたとされており、正保期の「武蔵田園簿」には「下菅生村」の文字が見える[10]。また、「蔵敷」と呼ばれた一部は、それ以外の「本村」と領主が違い、『新編武蔵風土記稿』にも「おのづから別に一村のごとし」と記録されている[13][14]。山沿いは天水、平地では湧き水を使うなど水利が悪く、農民は副業として炭焼きや「菅生笊」として知られる笊作りなどを行っていた[15]

明治維新以降も農村であったが、戦時中には陸軍が土地を確保し、それが解放された後には宅地開発の波が押し寄せ、農地はほとんどが宅地へと姿を変えていった。

地名の由来

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文字通り「が生えていた土地」と捉える見方もあるが[8]、小さい谷が続く土地の意味とする解釈もある[11]

沿革

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  • 江戸時代初期 - 上菅生村と下菅生村に分かれる(上菅生村は後に生田村となった)。
  • 正保期 - 「下菅生村」の記録が残る。
  • 1874年明治7年) - 大区小区制により、当地は第5大区第6小区に属する。
  • 1875年(明治8年) - 下菅生村が天真寺新田と合併し、菅生村となる。
  • 1889年(明治22年) - 町村制施行にあわせ、菅生村など4村が合併して向丘村が成立。当地は向丘村大字菅生となる。
  • 1910年(明治43年) - 村内の神社を菅生神社に合祀する[10]
  • 1938年昭和13年) - 向丘村が川崎市に編入される。当地は川崎市菅生となる。
  • 1941年(昭和16年) - 軍用地として一部が買収される。
  • 1951年(昭和26年) - 軍用地が解放され、大字向ケ丘となる。
  • 1971年(昭和46年) - 東洋医科大学(現聖マリアンナ医科大学)が開設される。
  • 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は高津区菅生となる。
  • 1982年(昭和57年) - 高津区から宮前区が分区され、当地は宮前区に属する。
  • 1986年(昭和61年) - 向ケ丘と合わせて一部で住居表示が施行され、菅生一丁目~六丁目初山一丁目・二丁目、犬蔵一丁目~三丁目が成立。
  • 1988年(昭和63年) - 一部で住居表示が施行され、水沢一丁目~三丁目・潮見台が成立。
  • 1989年平成元年) - 菅生の未施行地域全域で住居表示が施行され、菅生ケ丘が成立する。

町域の新旧対照

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菅生が住居表示を施行する前のは、以下のようになっていた[16]

現町丁 住居表示施行前の字
菅生1丁目 菅生字滝沢、菅生字中村、菅生字柳町、菅生字長沢の各一部
菅生2丁目 菅生字柳町、菅生字長沢、菅生字鷲ケ峯、菅生字水沢の各一部
菅生3丁目 菅生字柳町、菅生字鷲ケ峯、菅生字水沢の各一部
菅生4丁目 菅生字中村、菅生字柳町、菅生字水沢、向ケ丘字南菅生の各一部
菅生5丁目 菅生字初山、菅生字中村の各一部
菅生6丁目 菅生字中村、向ケ丘字菅生、向ケ丘字南菅生の各一部

世帯数と人口

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2024年(令和6年)6月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
菅生1丁目 852世帯 1,949人
菅生2丁目 1,331世帯 2,679人
菅生3丁目 1,356世帯 2,800人
菅生4丁目 584世帯 1,223人
菅生5丁目 897世帯 1,801人
菅生6丁目 877世帯 1,913人
5,897世帯 12,375人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[17]
10,956
2000年(平成12年)[18]
11,474
2005年(平成17年)[19]
12,232
2010年(平成22年)[20]
12,591
2015年(平成27年)[21]
12,601
2020年(令和2年)[22]
12,675

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[17]
3,976
2000年(平成12年)[18]
4,444
2005年(平成17年)[19]
4,904
2010年(平成22年)[20]
5,337
2015年(平成27年)[21]
5,420
2020年(令和2年)[22]
5,578

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)[23][24]

丁目 番・番地等 小学校 中学校
菅生1丁目 全域 川崎市立菅生小学校 川崎市立菅生中学校
菅生2丁目 1~15番
17~32番
16番 川崎市立稗原小学校
菅生3丁目 1番19号~2番
3番22号~最終号
4番20号~53番
1番1~18号
3番1~21号
4番1~19号
川崎市立菅生小学校
菅生4丁目 1~5番
7~12番
6番
13~17番
川崎市立稗原小学校
菅生5丁目 1~22番
23番30号~最終号
川崎市立菅生小学校
23番1~29号 川崎市立犬蔵小学校 川崎市立犬蔵中学校
菅生6丁目 1~32番
35番34~40号
36番21~23号
37番
33〜34番
35番11~18号
36番39~43号
川崎市立菅生小学校 川崎市立菅生中学校

事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[25]

丁目 事業所数 従業員数
菅生1丁目 44事業所 621人
菅生2丁目 88事業所 5,039人
菅生3丁目 63事業所 359人
菅生4丁目 30事業所 364人
菅生5丁目 32事業所 299人
菅生6丁目 27事業所 81人
284事業所 6,763人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[26]
258
2021年(令和3年)[25]
284

従業員数の変遷

[編集]

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[26]
6,034
2021年(令和3年)[25]
6,763

交通

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鉄道

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当地を通る鉄道の計画として川崎縦貫高速鉄道があり、当地には蔵敷駅・医大前駅の2駅が設置される計画となっていたが、中止となった。

バス

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当地が鉄道の駅から離れていること、また聖マリアンナ医大病院があることもあって、小田急線向ヶ丘遊園駅生田駅新百合ヶ丘駅登戸駅東急田園都市線溝の口駅宮前平駅鷺沼駅あざみ野駅とを結ぶバスが小田急バス川崎市交通局によって運行されている。さらに鷺沼駅発着の系統では、この2社局に加えて東急バスが運行する便も存在する。

また、蔵敷交差点から南側は田園都市線のたまプラーザ駅、北側は小田急線に出る人が多い。

道路

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施設

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公共施設

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その他

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その他

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日本郵便

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警察

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町内の警察の管轄区域は以下の通りである[28]

丁目 番・番地等 警察署 交番・駐在所
菅生1丁目 全域 宮前警察署 蔵敷交番
菅生2丁目 全域
菅生3丁目 全域
菅生4丁目 全域
菅生5丁目 全域
菅生6丁目 全域

関連項目

[編集]

脚注

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  1. ^ a b 令和6年町丁別世帯数・人口 6月末日現在” (xls). 川崎市 (2024年7月25日). 2024年8月16日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ a b 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)の数値」令和2年国勢調査)” (XLS). 川崎市 (2024年1月25日). 2024年3月20日閲覧。 “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)
  3. ^ a b 菅生の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 区別町名一覧表(宮前区)”. 川崎市 (2022年1月28日). 2022年4月10日閲覧。
  6. ^ 不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 川崎宮前-3”. 国土交通省. 2024年4月5日閲覧。
  7. ^ 不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 川崎宮前-29”. 国土交通省. 2024年4月5日閲覧。
  8. ^ a b 川崎市(2004)、P40
  9. ^ 研究会(1972)、P25
  10. ^ a b c 川崎市(2004)、P41
  11. ^ a b 角川(1984)、P504
  12. ^ 新編武蔵國風土記稿, p. 123, 巻ノ60橘樹郡ノ3上菅生村-NDLJP:1214845/67
  13. ^ 川崎市(2004)、P44
  14. ^ 新編武蔵國風土記稿, p. 130, 巻ノ60橘樹郡ノ3下菅生村-NDLJP:1214845/71
  15. ^ 研究会(1972)、P69
  16. ^ 昭和61年川崎市告示第126号(同年5月10日発行「川崎市公報」号外第7号、10~11ページ所収。 原文)。
  17. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  18. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  19. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  20. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  21. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  22. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  23. ^ 宮前区の小学校(町丁名順)”. 川崎市 (2022年4月1日). 2022年4月24日閲覧。
  24. ^ 宮前区の中学校(町丁名順)”. 川崎市 (2020年12月28日). 2022年4月24日閲覧。
  25. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  26. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  27. ^ 郵便番号簿PDF(2023年度版) 表紙等付属資料” (PDF). 日本郵便. 2024年2月10日閲覧。 “郵便番号データダウンロード 郵便番号簿PDF(2023年度版)
  28. ^ 交番案内/宮前警察署/神奈川県警察”. 神奈川県警察. 2024年3月13日閲覧。

参考文献

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