落合村 (栃木県)
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おちあいむら 落合村 | |
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廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
編入合併 上都賀郡落合村、河内郡豊岡村 → 上都賀郡今市町 → 今市市 |
現在の自治体 | 日光市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 栃木県 |
郡 | 上都賀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
7,117人 (1950年10月1日) |
隣接自治体 | 日光市、今市町、菊沢村、板荷村、城山村、大沢村 |
落合村役場 | |
所在地 |
〒321-1105 栃木県日光市文挾町418-3 |
座標 | 北緯36度38分31秒 東経139度43分34秒 / 北緯36.64189度 東経139.72614度座標: 北緯36度38分31秒 東経139度43分34秒 / 北緯36.64189度 東経139.72614度 |
特記事項 | 上記データは現在の日光市役所落合支所のものである。 |
ウィキプロジェクト |
落合村(おちあいむら)は、栃木県の北西部、上都賀郡に属していた村である。
地理
[編集]- 川:行川、武子川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、文挟村、板橋村、小代村、明神村、長畑村、手岡村、岩崎村、小倉村が合併し上都賀郡落合村が成立する。
- 1954年(昭和29年)3月31日 河内郡豊岡村とともに上都賀郡今市町へ編入、市制施行し今市市となる。
行政
[編集]- 落合村長[1]
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 高村喜三郎 | 1889年(明治22年)5月4日 | 1890年(明治23年)2月26日 | |
2 | 渡辺鉄三郎 | 1890年(明治23年)2月27日 | 1893年(明治26年)3月5日 | |
3 | 福田国三郎 | 1893年(明治26年)3月22日 | 1897年(明治30年)3月21日 | |
4 | 福田豊作 | 1897年(明治30年)6月1日 | 1898年(明治31年)12月3日 | |
5 | 福田国三郎 | 1899年(明治32年)2月27日 | 1900年(明治33年)3月17日 | |
6 | 江連元次 | 1900年(明治33年)4月28日 | 1902年(明治35年)9月23日 | |
7 | 富田宇一郎 | 1903年(明治36年)2月9日 | 1904年(明治37年)4月1日 | |
8 | 佐々木喜平 | 1906年(明治39年)9月20日 | 1910年(明治43年)9月19日 | |
9 | 佐々木喜平 | 1910年(明治43年)9月20日 | 1911年(明治44年)12月20日 | |
10 | 富田宇一郎 | 1912年(明治45年)1月11日 | 1916年(大正5年)1月10日 | |
11 | 富田宇一郎 | 1916年(大正5年)1月17日 | 1916年(大正5年)7月14日 | |
12 | 柴田善一郎 | 1919年(大正8年)3月7日 | 1921年(大正10年)3月7日 | |
13 | 松本早苗 | 1921年(大正10年)4月25日 | 1925年(大正14年)4月24日 | |
14 | 松本早苗 | 1925年(大正14年)4月25日 | 1928年(昭和3年)12月11日 | |
15 | 森岡米次 | 1928年(昭和3年)12月18日 | 1932年(昭和7年)12月17日 | |
16 | 高村東吉郎 | 1933年(昭和8年)6月19日 | 1934年(昭和9年)9月4日 | |
17 | 天島武雄 | 1935年(昭和10年)5月9日 | 1939年(昭和14年)5月8日 | |
18 | 佐藤朝治 | 1939年(昭和14年)5月9日 | 1943年(昭和18年)5月8日 | |
19 | 柴田正三郎 | 1943年(昭和18年)5月9日 | 1946年(昭和21年)12月14日 | |
20 | 福田民一郎 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1951年(昭和26年)4月5日 | |
21 | 福田民一郎 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 1954年(昭和29年)3月30日 |
農家土地推移
[編集]様々な庄屋、地主がいたが、土地の値交渉が活発であり、手放す者も多かった[要出典]。
村から出た著名人
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]参考文献
[編集]- 『栃木県町村合併誌 第一巻』 栃木県、1955年4月。
脚注
[編集]- ^ 『栃木県町村合併誌』 1巻、189-190頁。