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蒼龍 (御召艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蒼龍丸から転送)
蒼龍丸/蒼龍艦
基本情報
建造所 横須賀造船所[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 内海御召船[2]
艦歴
起工 明治2年11月(1869年12月頃)[3][4]
進水 明治5年5月23日(1872年6月28日)[3][1][5][6][注釈 1]
竣工 明治5年8月2日(1872年9月4日)[3]
就役 明治5年10月7日(1872年11月7日)引渡[7]
除籍 1886年4月22日[3]廃艦[8]
その後 売却[9]
改名 蒼龍丸[10] → 蒼龍艦[11]
要目
排水量 198英トン[1][6][注釈 2]
トン数 152トン[12][13]
長さ 46.50m[12][13]
または1554(47.09m)[14]
あるいは153 ftin (46.74 m)[4]
5.97m[12]
または6.12m[13]
あるいは20尺4(6.18m)[4]、20尺7(6.27m)[14]
深さ 14尺4(4.36m)[14]
吃水 1.25m[12]
または3尺5(1.06m)[14]
あるいは前部3尺8寸(1.15m)、後部4尺5寸(1.36m)[4]
ボイラー 管入方形缶 1基[15]
または管入半円形缶[4]
主機 揺動式機械[15] 1基[4]
注射復水器[13]
推進 外輪[13][15]
出力 52IHP[14][1]
40名馬力[12][13]または41名馬力[4]
帆装 2スクーナー[14]
速力 10.0ノット
1877年平均:6ノット[4]
燃料 炭団:20英トン[4](34,000[14])
航続距離 燃料消費:8,000斤/日[14]
乗員 仮定定員:38名(1876年10月31日)[16][17]
定員:35名(1885年12月25日-)[18]
搭載艇 竣工時:2隻[19]
その他 船材:[13]
玉座:1カ所[13]
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蒼龍(さうりゃう/そうりょう[20])は日本海軍の内海御召船[2][21]

艦名は「青い龍」の意味。「ソウリュウ」ではなく「ソウリョウ」[22]と読む。

艦型

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前述の通り内海御召船として建造された198トン[6]の木造外輪船(帆走併用)で、 玉座を1カ所備えていた[13]。 当時の記録では艦種を皇艦ともしている[14]

主機は揺動式機械1基で[15] 2気筒、シリンダーの直径は800mm、行程は720mmだった[13]ボイラーは管入方形缶1基[15]。 半円缶とする文献もある[23]。 大きさは長さ1m、幅3.590m、高さ2.540m、炉筒は2個あった[13]復水器は注射式だった[13]

1879年(明治12年)3月30日、御召船の装飾として煙突の塗装を薄黄土色に変更(従来は黒色)の上申があり、7月3日に認許された[24]

艦歴

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建造

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明治2年11月(1869年12月頃)に横須賀造船所で起工され[3]、 明治5年4月10日(1872年5月16日)蒼龍丸と命名[10]、 5月23日(新暦6月28日)進水[5]、 8月2日(新暦9月4日)に機関の据付が完了し、試運転が行われた[25]。 各種文献ではこの日を竣工日としている([3][15][26]など)。 その後艤装工事も完了した[7]

明治5年

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当初は宮内省の所管であったが[4] 同年9月24日(新暦10月26日)に海軍省の所管となり[3]、 10月7日(新暦11月7日)、新任艦長生田大尉に引き渡し[7]、 以後は東京築地の海軍省構内に係留された[20]。 10月8日(新暦11月8日)に造船局所轄と定められ[27][28]、 10月16日(新暦11月16日)に七等軍艦とされた[29][30]

1873年

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1873年(明治6年)2月2日、蒼龍丸は主船寮所轄から提督府所轄になったが[31]、 3月13日に主船寮に戻された[32]

7月時は艤装変更工事を(石川島)造修所で行っており[33]、 8月25日に工事完成[34]、 8月28日に提督府に引き渡された[35]。 10月8日付で正式に海軍省に下付された[3][36]

12月17日、明治天皇皇后横須賀造船所天覧があり、横浜から横須賀まで蒼龍丸に乗船した[37]。 翌18日に猿島沖の艦隊運動の天覧し、横須賀から横浜まで蒼龍丸に乗船し帰途についた[37]

1874年

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1874年(明治7年)5月29日より海軍省内堀に係留された[20]。 6月3日に蒸気機関に不具合が報告された[38]。 7月16日に試運転の為に品海を出港し浦賀に回航した[39]。 当日は横浜に停泊し、翌17日に石川島に回航[39]トイレ改修の打ち合わせを行った[40]

7月27日に外人教師や陸軍の人員を乗せて横須賀から浦賀までの測量を行い、8月3日終了した[41]。 8月7日に石川島のドックに入った[42]

1875年

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1875年(明治8年) 8月2日、蒼龍丸兵学寮所轄とされた[43]

1876年

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1876年(明治9年)10月14日、蒼龍丸兵学校所轄から軍務局所轄に変更となった[44][16][45]。 兵学校の練習艦が増えて点検などに手が回らないという理由だった[46]。 10月31日蒼龍丸の定員は38人と仮定された[16]蒼龍丸は機械のさび落としのための試運転として、12月1日午前6時30分出港、10時15分浦賀に到着した[47]。 翌2日午前9時20分に同所を出港し、午後1時5分に品海に到着、3日午前6時30分同所を出港、7時30分に帰着した[47]

1877年

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1877年(明治10年)3月3日、横須賀で修理するための回航が許可された[48]。 3月13日「天城」の水卸式 (進水式) に臨席する中牟田倉之助ら要人を横浜港から横須賀港へ輸送した[49]横須賀造船所では内外塗装の塗り替え、金箔の修繕、後部甲板のビーム2本を交換、テレグラフの装備などが行われた[4]。 4月29日、修理が完了した蒼龍丸は定繋場所に帰着した[50]

また12月に試運転が行われ、8日午前7時50分出港し11時40分浦賀着、翌9日午前7時同地を出港し11時40分海軍省外堀に帰着した[51]

1878年

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1878年(明治11年) 年初は海軍省入壕外川口に繋留されていた[52]。 2月に水路局羅針盤自差を品海で実際に測定することになり、蒼龍丸が貸し出された[53]蒼龍丸は2月4日出港[54]、 9日海軍省堀外に帰着した[55][52]

7月16日に磐城の進水式があり、川村純義海軍卿岩倉具視右大臣伊藤博文参議横浜港から横須賀港まで蒼龍丸に乗船した[56]

1879年

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蒼龍丸1879年(明治12年)1月から機関の運転をしていなかった[57]。 両皇后が扶桑など3隻を行啓をするため[57]蒼龍丸は春風丸を曳航し4月26日横浜に回航した[58]。 4月28日行啓が行われ[57]、 翌29日に蒼龍丸は横須賀に回航、春風丸は修理の検分のために同地で造船所に引き渡し、蒼龍丸は30日午前に帰着した[58]。 5月22日、蒼龍丸は春風丸と共に横須賀に回航して修理を行い(甲板や外舷の隙間充填[59]、舷門の修理と舷門階段の交換[4]など)、6月12日海軍省外堀に帰着した[60]

6月23日、艦隊運動天覧の為に蒼龍丸は横浜へ回航したが天覧は延期となり、24日に帰着した[61]

陸海軍卿諸港点検のため、 11月17日軍省壕外川口を出発、同日横浜に到着した[62]。 11月19日横浜発、観音崎に寄り、同日は浦賀に碇泊、翌20日横須賀に回航し、21日横浜に回航した[62]。 11月22日海軍省壕外川口に戻った[62]

1880年-1881年

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1880年(明治13年)1月29日(または2月25日[63][64])に軍務局所轄の蒼龍丸は予備船と定められた[4][65]

3月22日に蒼龍丸は横浜に回航し[66]、 翌23日から榎本武揚海軍卿が横須賀ヘ出張するために使用された[67]。 3月24日横浜を出港、同日横須賀着[62]。 3月26日横須賀発、浦賀を経由し、同日横浜に到着[62]、 海軍省壕外川口に帰着した[68]

4月22日、ボイラー掃除の為に機関開放の届出があり、以後約5週間を予定した[69]。 しかし横須賀造船所では鳳翔摂津の修理も行っており、予算が不足した[70]。 測量任務を予定していた鳳翔の修理が優先され[71]、 結果蒼龍丸の修理は6月以降となった[72]。 6月23日、機関の掃除終了の届出が出された[73]

6月28日海軍省壕外川口から横浜に回航した[62]ロシア公使が乗船し、6月29日横浜発、横須賀に回航し、同日横浜着[62]。 6月30日海軍省壕外川口に戻った[62]。 (『海軍省報告書』によると、ロシア海軍中将の乗船のために7月23日本省外堀から横浜港に回航、翌24日横浜を出港し横須賀間を往復、同日本省外堀に戻った[74]。)

8月19日、蒼龍丸は軍務局所轄(海軍省堀に係留)から東海鎮守府所轄(横浜港)に変更[75][76]、 9月10日、横浜に回航され[4][74] 東海鎮守府が受領した[77]。 ただ横浜港では風波の高い場合もあるので、9月13日に横須賀港に回航、当分逸見村前に繋留されることになった[78]

10月に機械室内の塗装を剥がした所、内板やリブ数本が腐敗しているのが見つかった[79]蒼龍丸は室内の塗装全てを剥がして点検する必要があり、他の繋泊艦船の点検も必要になった[80]蒼龍丸の室内の塗装剥がしは12月13日に開始された[81]。 翌1881年(明治14年)1月にリブの修理が5,500円、機関修理が6,000円など計11,800円と見積もられ、修理は6月完了を予定した[82]。 このころの修理は築地川崎造船所で行ったと記録が残る[83]。 4月27日(または4月26日[74])に石川島に回航し[84]、 4月29日[83] から10月27日まで修理を行った[85]

1882年

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1882年(明治15年) 8月28日に海門の進水式が横須賀造船所であり、東伏見宮が横須賀まで蒼龍丸に乗船した[86]

9月8日、蒼龍丸は予備船となる予定で東京から横須賀に回航された[87]。 同年に予備艦船規則が仮定され、既に予備船だった蒼龍丸は規則適用の為に[88] 9月30日に改めて予備船に指定された[89][90][91]。 10月5日、蒼龍丸は予備艦総理に受け渡され、艦長以下乗員は退船した[92]

1883年

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1883年(明治16年)8月18日に蒼龍丸蒼龍艦と改称した[93][94]。 この当時、蒼龍のボイラーは航海ごとに蒸気の漏洩を生じていた[95]。 そのため9月13日に予備艦隊総理から東海鎮守府へボイラー修理の上申が出され[95]、 また10月19日に横須賀造船所から予算5,316円、期間3カ月での修理が上申され、12月17日に認許された[95][96]

1884年

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1884年(明治17年) 2月6日にフランス公使横須賀造船所を視察することになり、横浜港横須賀港の間の移動に蒼龍の使用を考えていたが、同艦は修理中のため、代わりに「横須賀丸」が用意された[97]

1885年

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1885年(明治18年)3月4日、蒼龍は演習艦隊へ編入し、横須賀鎮守府から中艦隊へ引き渡すよう訓令が出された[98]。 4月30日に左舷士官室外板他の修理が上申され[99]、 6月20日認許された[100]

1886年

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1886年(明治19年)4月22日、蒼龍艦は廃艦とされた[101][102] (除籍[3])。 同日売却の訓令が出された[9] が、買受人は現れなかった[103]。 同年12月11日に逓信省から譲渡の要望が有り[104]海軍省は12月21日に譲渡は可能で授受の手順は横須賀鎮守府と協議するように、と回答[105]、 翌1887年(明治20年)2月21日に旧蒼龍艦は逓信省へ引き渡された[106]

艦長

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船長
  • 生田頼之:明治5年9月29日(1872年10月31日)[107] -
  • 生田頼之 大尉:1873年3月22日[32] -
  • 生田頼之 大尉:1873年8月31日[108] - 1874年5月24日[109]
  • 根津勢吉 中尉:1874年5月24日[109] - 1875年4月17日[110]
  • 増田広豊 大尉:1875年4月17日[110] -
  • 朝枝惟一 中尉:1877年2月19日[111](2月20日引き継ぎ[112]) -
  • (代理)渋谷直武 少尉:1877年9月14日[113] - 1878年2月13日[114]
  • 大沢正衛 大尉:1878年2月13日[114] -
艦長
  • 楢崎照義 大尉:1885年3月4日 - (艦隊演習中)[115]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本海軍史 第7巻』によると明治4年8月(1871年)進水。
  2. ^ 『日本海軍史 第7巻』によると排水量152トン。

出典

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  1. ^ a b c d #日本近世造船史明治(1973)p.499
  2. ^ a b #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.243『以上の外に内海御召艦として「蒼龍丸」(さうりゆう)あり』
  3. ^ a b c d e f g h i #浅井(1928)p.32
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n #帝国海軍機関史上巻p.474-476
  5. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.207
  6. ^ a b c 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p176
  7. ^ a b c #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.214
  8. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.746『蒼龍艦ヲ廃艦トスルノ件 明治十九年四月二十二日(省令二五) 蒼龍艦ヲ廃艦トス』
  9. ^ a b #M19公文備考9/配鑑画像5-6、公売委員長宛訓令「旧蒼龍艦乃儀横須賀鎮守府ト協議シ其責ニ於テ公売方取計フヘシ 右訓令ス」
  10. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.206
  11. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.746『蒼龍丸ヲ蒼龍艦ト呼稱ノ件 明治十六年八月十八日(丙七一) 迅鯨艦外四艘ノ乗員左表ノ通改定ス此旨達候事 但蒼龍丸ハ自今蒼龍艦ト稱呼候事(以下略)』
  12. ^ a b c d e #M5公文類纂24/生田大尉達蒼龍丸造船局管轄申付他3件画像5、目録
  13. ^ a b c d e f g h i j k l #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.215、蒼龍丸製式摘要
  14. ^ a b c d e f g h i #M1-M9海軍省報告書画像35-36、明治五年壬申艦船総数表
  15. ^ a b c d e f #帝国海軍機関史上巻p.337(第2巻43頁)
  16. ^ a b c #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像7-11、明治9年10月
  17. ^ #M1-M9海軍省報告書画像108-109、艦船表(明治9年6月30日現在)
  18. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.162,167『扶桑外十八艦定員 明治十八年十二月二十五日(丙七二) 扶桑外十八艦定員各左表ノ通改定ス此旨相達候事(定員表省略)』
  19. ^ #M5公文類纂24/生田大尉達蒼龍丸造船局管轄申付他3件画像6
  20. ^ a b c 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.10、蒼龍(初代)『そうりょう・さうりょう』
  21. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p176による。『日本海軍史 第7巻』では艦種を「運輸船」としている。
  22. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p176による。『日本海軍史 第7巻』でも「そうりょうまる」としている。
  23. ^ #機関史(1975)別冊No.5、軍用機関内外発達対照表
  24. ^ #M12公文類纂後編16/蒼龍丸煙突改色の件画像1
  25. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.211
  26. ^ #幕末以降帝国軍艦写真と史実p.243『同年五月二十三日浸水、同年八月二日竣工す。』
  27. ^ #M5公文類纂24/生田大尉達蒼龍丸造船局管轄申付他3件画像1
  28. ^ #M1-M9海軍省報告書画像32-33、明治5年10月。
  29. ^ #M5公文類纂24/生田大尉達蒼龍丸造船局管轄申付他3件画像9
  30. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.745、蒼龍丸ヲ七等軍艦ト心得シムルノ件
  31. ^ #M1-M9海軍省報告書画像37-38、明治6年2月。
  32. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像38-39、明治6年3月。
  33. ^ #M6公文類纂16/宮内省問合 御召船蒼竜丸修復の画像1
  34. ^ #M6公文類纂16/蒼竜丸修理落成画像1
  35. ^ #M6公文類纂16/蒼龍丸提督府へ引渡画像1
  36. ^ #M1-M9海軍省報告書画像43-44、明治6年10月。
  37. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.250
  38. ^ #M7公文類纂16/修覆(4)画像17
  39. ^ a b #M7公文類纂15/航泊出入(4)画像1
  40. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(3)画像47
  41. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(4)画像21
  42. ^ #M7公文類纂16/修覆(5)画像37
  43. ^ #M1-M9海軍省報告書画像67-68、明治8年8月。
  44. ^ #M9公文類纂11/蒼竜丸所轄替上申画像7
  45. ^ #M9布達/10月画像16、明治9年10月14日丙第33号
  46. ^ #M9公文類纂11/蒼竜丸所轄替上申画像1
  47. ^ a b #M9公文類纂11/蒼龍丸浦賀辺まで運転の件画像3。届出は11月3日付になっているが、前後の書類の日付から12月3日の間違いと思われる。
  48. ^ #M10公文類纂前12/蒼龍丸回船の件伺画像1
  49. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.92
  50. ^ #M10公文類纂前11/蒼龍丸横須賀より帰船画像1
  51. ^ #M10公文類纂後14/蒼龍丸帰着の件画像1
  52. ^ a b #M11.7-M12.6海軍省報告書画像53、蒼龍丸航泊表
  53. ^ #M11公文類纂前編19/蒼龍丸御貸渡他4件画像1-3
  54. ^ #M11公文類纂前編19/蒼龍丸御貸渡他4件画像5「蒼龍丸出帆届○副申」
  55. ^ #M11公文類纂前編19/蒼龍丸御貸渡他4件画像13「蒼龍丸本省お堀ヘ帰船乃届」
  56. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.113
  57. ^ a b c #M12公文類纂前編13/蒼龍丸帰船の件画像3
  58. ^ a b #M12公文類纂前編13/蒼龍丸帰船の件画像5-6「蒼龍丸横濱出張乃儀御届」
  59. ^ #M12公文類纂前編14/蒼龍春風両船修復の件画像12
  60. ^ #M12公文類纂前編13/蒼龍丸帰船の件画像7-8「蒼龍春風両船帰京乃御届」
  61. ^ #M12公文類纂前編13/蒼龍丸帰船の件画像9-10「蒼龍丸横濱港ヘ回船及帰着乃儀御届」
  62. ^ a b c d e f g h #M12.7-M13.6海軍省報告書画像36-37(pp.63-65)、航泊表蒼龍丸
  63. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.746、明治13年2月25日(丙17)
  64. ^ #M12.7-M13.6海軍省報告書画像16-17、艦船所轄並在任附改称及等級
  65. ^ #M13公文類纂前編11/蒼龍丸支給向并等級の義画像3「軍務局 其局所轄蒼龍丸自今豫備舩ト相定艦等ハ従前之通可相心得此旨相達候事 但乗御之節ハ其日数二応シ常備艦同様支給方可取計事 明治十三年一月廿九日 海軍卿川村純義」
  66. ^ #M13公文類纂前編11/蒼龍丸回船方届画像1
  67. ^ #M13公文類纂前編11/蒼龍丸回船方達画像1
  68. ^ #M13公文類纂前編11/蒼龍丸帰着画像1
  69. ^ #M13公文類纂前編11/蒼龍丸機関掃除届画像1
  70. ^ #M13公文類纂前編12/鳳翔攝津蒼龍丸修復見込上答画像1
  71. ^ #M13公文類纂前編12/鳳翔攝津蒼龍丸修復見込上答画像2
  72. ^ #M13公文類纂前編12/蒼龍丸民立造船所で修復上申画像2
  73. ^ #M13公文類纂前編11/蒼龍丸機関掃除済届画像1
  74. ^ a b c #M13.7-M14.6海軍省報告書画像34、艦船航泊表、蒼龍丸
  75. ^ #M13公文類纂後編9/蒼龍丸鎮守府所轄上申画像5「軍務局 其局所轄蒼龍丸自今東海鎮守府所轄ニ附シ候条同府江可引渡此旨相達候事 毎時十三年八月一九日 代理長官」
  76. ^ #M13.7-M14.6海軍省報告書画像17、艦船所轄竝在任附改称及等級等
  77. ^ #M13公文類纂後編9/蒼龍丸春風丸受取済画像1
  78. ^ #M13公文類纂後編11/蒼龍丸横須賀湾内へ碇泊画像1
  79. ^ #M13公文類纂後編9/蒼龍丸リブ腐敗修復上申画像1
  80. ^ #M13公文類纂後編9/蒼龍丸リブ腐敗修復上申画像2
  81. ^ #M13公文類纂後編9/蒼龍丸半舷人員陸泊画像1
  82. ^ #M14公文類纂前編9/蒼龍丸修復上申画像9-10、蒼竜丸修復豫算調
  83. ^ a b #M13.7-M14.6海軍省報告書画像19-20、海軍艦船修復
  84. ^ #M14公文類纂前編9/蒼龍丸修復著手方届画像1
  85. ^ #M14.7-M15.6海軍省報告書画像21-23、部内艦船修復
  86. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.209
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  88. ^ #M15公文類纂後編4/予備艦船規則仮定に付蒼龍丸取扱画像3、普第2235の2
  89. ^ #M15公文類纂後編4/予備艦船規則仮定に付蒼龍丸取扱画像8、普第2235の8
  90. ^ #M15.7-12海軍省報告書画像15、艦船所轄並在任 附改称及等級
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  92. ^ #M15公文類纂後編4/予備艦船規則仮定に付蒼龍丸取扱画像10-11、「蒼龍丸義更メテ予備舩ト被相定候ニ付引渡等御届」「蒼龍丸受取御届」
  93. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.746、蒼龍丸ヲ蒼龍艦ト称呼ノ事、明治16年8月18日(丙71)「迅鯨艦外四艘ノ乗員左表ノ通改定ス此旨相達候事 但蒼龍丸ハ自今蒼龍艦ト称呼候事」
  94. ^ #M16海軍省報告書画像18、艦船所轄並在任附改称及等級
  95. ^ a b c #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.261
  96. ^ #M16普号通覧38/予備蒼龍艦汽罐部修覆相成度件画像1、普第2495号の5
  97. ^ #M17普号通覧正編4/仏国公使横須賀へ赴くに付乗用の為め蒼龍艦を用意す可き件画像18
  98. ^ #M18普号通覧8/蒼龍艦演習艦隊へ編入の為中艦隊へ引渡画像1、普第627号
  99. ^ #M18普号通覧14/蒼龍艦修覆の件画像3-4、普第1239号「蒼龍艦修復ノ義ニ付伺」
  100. ^ #M18普号通覧14/蒼龍艦修覆の件画像1-2、主蒼龍第3号
  101. ^ #M19公文備考9/配鑑画像2
  102. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.746、明治19年4月22日(省令25)「蒼龍艦ヲ廃艦トス」
  103. ^ #M19公文雑輯5/逓信省へ譲渡の件(旧蒼龍艦)画像3-4
  104. ^ #M19公文雑輯5/逓信省へ譲渡の件(旧蒼龍艦)画像5、艦政第3441号
  105. ^ #M19公文雑輯5/逓信省へ譲渡の件(旧蒼龍艦)画像1-2、逓信省江御回答案
  106. ^ #M20公文雑輯7/蒼龍引渡画像3、営普第200号。
  107. ^ #M1-M9海軍省報告書画像31-32、明治5年9月。
  108. ^ #M1-M9海軍省報告書画像42、明治6年8月。
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  112. ^ #M10公文類纂前11/蒼龍丸引渡済画像1
  113. ^ #M10.7-M11.6海軍省報告書画像8-11、明治10年9月沿革
  114. ^ a b #M10.7-M11.6海軍省報告書画像23-26、明治11年2月沿革
  115. ^ 『官報』第500号、明治18年3月5日。

参考文献

[編集]
  • アジア歴史資料センター
    • 国立公文書館
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      • 「第一 沿革」『記録材料・海軍省報告書』、JACAR:A07062089300  明治9年7月から明治10年6月。
      • 『記録材料・海軍省報告書』。JACAR:A07062091300  明治10年7月から明治11年6月。
      • 『記録材料・海軍省報告書』。JACAR:A07062091500  明治11年7月から明治12年6月。
      • 『記録材料・海軍省報告書』。JACAR:A07062091700  明治12年7月から明治13年6月。
      • 『記録材料・海軍省報告書』。JACAR:A07062091900  明治13年7月から明治14年6月。
      • 『記録材料・海軍省報告書』。JACAR:A07062092100  明治14年7月から明治15年6月。
      • 『記録材料・海軍省報告書』。JACAR:A07062092300  明治15年7月から12月。
      • 『記録材料・海軍省報告書』。JACAR:A07062092500  明治16年1月から12月。
      防衛省防衛研究所
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    • 『明治7年 公文類纂 巻15 本省公文 艦船部3』。 
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      • 「往入3019 鎮守府上請 蒼龍丸リブ腐敗修復」、JACAR:C09114595100 
      • 「往入3019 鎮守府上請 蒼龍丸リブ腐敗修復」、JACAR:C09114595100 
      • 「往出1457 艦船点検委員達 諸艦船修復取扱区別取調方」、JACAR:C09114595200 
      • 「往出1623 造船所達 蒼龍丸リブ腐敗修復」、JACAR:C09114595300 
      • 「往入3373 鎮守府届 蒼龍丸半舷人員陸泊」、JACAR:C09114595400 
    • 『明治13年 公文類纂 後編 巻11 本省公文 艦船部3止』。 
      • 「往入2491 鎮守府届 蒼龍丸横須賀湾内へ碇泊」、JACAR:C09114620200 
    • 『明治14年 公文類纂 前編 巻9 本省公文 艦船部2』。 
    • 『明治15年 公文類纂 後編 巻4 本省公文 艦船 土木』。 
      • 「普2235 鎮守府伺 予備艦船規則仮定に付蒼龍丸取扱」、JACAR:C09115584600 
    • 普号通覧
    • 『明治16年 普号通覧 巻38 普2411号至2500号 10月分 本省公文』。 
    • 『明治17年 普号通覧 正編 巻4 普200号至270号 1月分』。 
      • 「仏国公使横須賀へ赴くに付乗用の為め蒼龍艦を用意す可き件」、JACAR:C11018925700 
    • 『明治18年 普号通覧 巻8 自普601号至普700号 3月分』。 
      • 「明治18年3月4日 蒼龍艦演習艦隊へ編入の為中艦隊へ引渡しの件」、JACAR:C10124098900 
    • 『明治18年 普号通覧 巻14 自普1231号至普1350号 5月分』。 
      公文雑輯
    • 『明治19年 公文雑輯 巻5 艦船 乾』。 
      • 「艦船受授/19年12月21日 逓信省へ譲渡の件(旧蒼龍艦)」、JACAR:C10123741500 
    • 『明治20年 公文雑輯 巻7 艦船2』。 
      公文備考
    • 『明治19年 公文備考 艦船 巻9』。 
    • 『明治9年 海軍省布達全書』。 
    • 『明治15年 海軍省達 全』。 
  • 浅井将秀 編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
  • 官報
  • 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 横須賀海軍工廠 編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。 

関連項目

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