藤原国光
表示
時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 正四位下、治部卿 |
主君 | 村上天皇 |
氏族 | 藤原北家山蔭流 |
父母 | 父:藤原在衡、母:清原高峯の娘 |
兄弟 | 国光、博古、惟信、忠実、正妃、左京大夫行正室 |
妻 | 藤原有好の娘 |
子 | 順時、忠輔、藤原遠量室 |
藤原 国光(ふじわら の くにみつ)は、平安時代中期の貴族。藤原北家山蔭流、左大臣・藤原在衡の子。官位は正四位下・治部卿。
経歴
[編集]村上朝の天暦4年(950年)右少弁に任ぜられると、弁官を務めながら昇進し、応和3年(963年)従四位下・権左中弁の官位にあった。
村上朝末から地方官に転じ、近江守・大和守・大宰大弐を歴任。円融朝にて正四位下・治部卿に至った。
官歴
[編集]- 時期不詳:従五位下
- 天暦4年(950年) 3月:右少弁[1]
- 天徳4年(960年) 日付不詳:見権右中弁[2]
- 応和元年(961年) 日付不詳:見権左中弁[3]
- 応和3年(963年) 日付不詳:見従四位下[4]
- 康保3年(966年) 閏8月15日:見近江守従四位上[5]
- 安和2年(969年) 11月1日:見大和守[6]
- 天禄3年(972年) 正月:大宰大弐[1]
- 貞元2年(977年) 日付不詳:大和守[6]
- 時期不詳:治部卿[7]。正四位下[7]