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藤原宗明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 宗明(ふじわら の むねあき、生没年不詳)は、鎌倉時代公家藤原北家末茂流中納言藤原実教の子。従三位持明院基宗の猶子[1]官位従三位左馬権頭

経歴

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後鳥羽院政期初頭の正治元年(1199年従五位下叙爵し、元久2年(1205年)兄の公長に続いて越中守任官する。承久2年(1220年)従五位上に叙せられ、承久3年(1221年承久の乱後に少納言に任ぜられると、貞応元年(1222年正五位下嘉禄元年(1225年従四位下と昇進し、四位になっても引き続き少納言を務めた。

その後、安貞3年(1229年)従四位上、寛喜3年(1231年左馬権頭文暦2年(1235年正四位下に叙任される。仁治元年(1240年)10月に兄の公長が出家してまもなく、宗明は従三位に叙せられて公卿に列した。

寛元3年(1245年)5月13日に出家。法名孝信

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『明月記』嘉禄3年4月4日条

参考文献

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