藤原宗明
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藤原 宗明(ふじわら の むねあき、生没年不詳)は、鎌倉時代の公家。藤原北家末茂流、中納言・藤原実教の子。従三位・持明院基宗の猶子[1]。官位は従三位・左馬権頭。
経歴
[編集]後鳥羽院政期初頭の正治元年(1199年)従五位下に叙爵し、元久2年(1205年)兄の公長に続いて越中守に任官する。承久2年(1220年)従五位上に叙せられ、承久3年(1221年)承久の乱後に少納言に任ぜられると、貞応元年(1222年)正五位下、嘉禄元年(1225年)従四位下と昇進し、四位になっても引き続き少納言を務めた。
その後、安貞3年(1229年)従四位上、寛喜3年(1231年)左馬権頭、文暦2年(1235年)正四位下に叙任される。仁治元年(1240年)10月に兄の公長が出家してまもなく、宗明は従三位に叙せられて公卿に列した。
官歴
[編集]『公卿補任』による。
- 正治元年(1199年) 正月5日:叙爵(皇太后宮未給)
- 元久2年(1205年) 11月29日:越中守
- 承元2年(1208年) 7月9日:得替
- 承久2年(1220年) 12月18日:従五位上
- 承久3年(1221年) 閏10月18日:少納言
- 貞応元年(1222年) 4月13日:正五位下
- 嘉禄元年(1225年) 12月25日:従四位下、少納言如元
- 嘉禄3年(1227年) 5月25日:復任(父)
- 安貞3年(1229年) 正月30日:従四位上
- 寛喜3年(1231年) 4月14日:左馬権頭
- 文暦2年(1235年) 正月25日:正四位下
- 仁治元年(1240年) 10月24日:従三位
- 寛元3年(1245年) 5月13日:出家
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]- ^ 『明月記』嘉禄3年4月4日条
参考文献
[編集]- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年