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藤原定文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原定文
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 延喜7年10月17日907年11月25日
官位 従四位下右馬頭
主君 醍醐天皇
氏族 藤原北家良門流
父母 父:藤原高藤、母:大江元平の娘
兄弟 定国胤子、満子、定方定文、定数
多治比氏の娘
信臣、経臣
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藤原 定文(ふじわら の さだふみ)は、平安時代前期の貴族藤原北家良門流、内大臣藤原高藤の子。官位従四位下右馬頭醍醐天皇

経歴

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異母兄弟の定国定方とは違い自身は公卿には昇れず、右馬頭を務め位階は従四位下であった。延喜7年(907年)10月17日卒去。

翌延喜8年(908年)10月に周忌が行われ、六位蔵人藤原伊衡諷誦した[1]

系譜

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  • 父:藤原高藤
  • 母:大江元平の娘
  • 妻:多治比氏の娘
    • 男子:藤原信臣(?-?)
    • 男子:藤原経臣

脚注

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  1. ^ 西宮記延喜8年10月11日条