藤原実躬
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 建暦元年(1211年) |
死没 | 建長4年(1252年)以降[1] |
官位 | 従三位、非参議 |
主君 | 土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇 |
氏族 | 藤原北家閑院流 |
父母 | 父:藤原公雅、母:忠萬法印の娘 |
兄弟 | 実任、実躬、実澄、実祐、女子[2] |
子 | 公躬、公順 |
藤原 実躬(ふじわら の さねみ)は、鎌倉時代の公卿。非参議従三位。父は正二位権大納言藤原公雅、母は忠萬法印の女。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 元仁元年(1224年)1月29日、侍従に任ぜられる。
- 嘉禄3年(1227年)1月26日、美濃介を兼ねる。
- 安貞2年(1228年)1月5日、従五位上に昇叙。
- 寛喜3年(1231年)1月5日、正五位下に昇叙。同年4月30日、遠江介を兼ねる。
- 貞永2年(1233年)1月6日、従四位下に昇叙。
- 天福元年(1233年)12月15日、左少将に任ぜられる。
- 暦仁元年(1238年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 仁治2年(1241年)1月5日、正四位下に昇叙[3]。
- 仁治4年(1243年)4月9日、従三位に叙される。
- 宝治2年(1248年)3月20日、父公雅の喪に服す。
- 建長4年(1252年)、出家もしくは薨去。
系譜
[編集]- 父:藤原公雅(1181-1243)
- 母:忠萬法印の娘
- 妻:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:公躬
- 男子:公順