藤原石山
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藤原 石山(ふじわら せきざん、1912年9月13日 - 没年不詳) は、日本の歴史学者。南朝史学会の『史蹟と伝説』『南朝研究』などの主筆として南朝史の研究に活躍した。本名彦人、号丸山(がんざん)。
生涯
[編集]藤原石山は1912年(大正元年)9月13日、愛知県豊橋市石巻町に生まれた。この日は明治天皇の大喪の日であった。昭和13年、中神精太郎著『南朝忠臣高井主膳正』の伝記に心ひかれて南北朝時代の地方史に興味をいだき、昭和16年、山口保吉著『三河吉野朝の研究』と中西久次郎著『長慶天皇御聖蹟と東三河の吉野朝臣』によって三河に長慶天皇の遺蹟のある事を知り、また豊川市平尾町の寺部家に伝承される長慶天皇の伝承を聴き、さらに尾張一宮市の熊沢家の伝承、浜松市天王町の竹山家の伝承、愛知県岡崎市の三浦家の伝承を聞き、奈良県川上村に伝承される後南朝の秘蹟、能登半島の狼煙、富士吉田市の南朝秘蹟等を調査し、静岡県秋葉山の奥地京丸の山中や長野県浪合村の南朝王子の伝承地を訪ねるなど[1]、南北朝時代の歴史、殊に南朝の皇統史に興味を抱き、関連史料を紐解きつつ各地を訪問して地元の伝承を歴史資料(口碑)、民俗資料として収集し、南朝に北陸朝廷と吉野朝の正副二統の皇統が存在したと考察した『南朝正統皇位継承論』や、三河地方に伝承された長慶天皇の研究書『三河に於ける長慶天皇伝説考』など多くの研究書を上梓し南朝史を中心とした在野史学の発展に貢献した。
著書
[編集]- 藤原丸山『長慶天皇の傳説と木地屋民 : 尾三遠南朝史論』(南朝史学会、1961年)
- 藤原丸山『三河南朝遺臣潜居史考』(南朝史学会、1961年)
- 藤原丸山『南朝王子の傳説とその考證 : 尾三遠南朝史論 ; 南北朝時代に於ける上野国新田郡と三河』(南朝史学会、1962年)
- 藤原丸山『南朝正統論 思想編』(南朝史学会、1962年)
- 藤原丸山『富士谷南朝秘蹟と両朝の策謀』(南朝史学会、1963年)
- 藤原丸山『三河吉野朝玉川宮御遺蹟の研究』(南朝史学会、1964年)
- 藤原丸山『南朝三代説と長慶天皇の御在位 : 南北朝時代の謎を解く』(南朝史学会、1964年)
- 藤原丸山『南朝正統皇位継承論』(南朝史学会、1966年)
- 藤原丸山『尹良親王の伝説』(南朝史学会、1971年)
- 藤原石山『渥美神戸久丸神社寝祭り考』(南朝史学会、1976)
- 藤原石山『三河に於ける長慶天皇伝説考』(南朝史学会、1979年)
- 藤原石山『三河に於ける長慶天皇伝説考資料編』(南朝史学会、1979年)
- 藤原石山『西浦山無量寺と懽子内親王』(南朝史学会、1981年)
- 藤原石山『長慶天皇の三河遷幸と諸豪の動き』(南朝史学会、1982年)
- 藤原石山『三河国境の南北朝攻防戦』(南朝史学会、1983年)
- 藤原石山『南北朝の正閏と天皇論』(南朝史学会、1984年)
- 藤原石山『南朝正統皇位継承論』(南朝史学会、1988年、再版)
- 藤原石山『稲荷信仰と陀枳尼真天の御正体』(南朝史学会)
- 藤原石山『石巻山ー南朝忠臣高井主膳正資料収録』(南朝史学会)
- 藤原石山『三遠』(三遠文化協会)
脚注
[編集]- ^ 藤原石山『三河に於ける長慶天皇伝説考』(南朝史学会、1979年)68頁
参考文献
[編集]- 中西久次郎・家田富貴男『長慶天皇御聖蹟と東三河の吉野朝臣』(三河吉野朝聖蹟研究所、1940年)
- 山口保吉『三河吉野朝の研究』(山口究宗堂、1940年)
- 八板千尋『大楠公秘史』(東京閣、1942年)
- 山口保吉『芳花鶴水園の聖地』(山口究宗堂、1943年)
- 豊川市『豊川市市勢要覧 昭和28年版P152-153』(1953年)
- 三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(神風串呂講究所、1970年)