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藤原長道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原 長道
時代 奈良時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位上右衛門権佐
主君 称徳天皇光仁天皇
氏族 藤原南家豊成流
父母 父:藤原武良自
兄弟 長道、長山
縣犬養御鎮奈保の娘、藤原魚名の娘
根乙麻呂、柄継、都麻呂、助継、鷹養
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藤原 長道(ふじわら の ながみち)は、奈良時代貴族藤原南家右大臣藤原豊成の孫で、丹後守藤原良因(武良自)の子。官位従五位上右衛門権佐[1]

経歴

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天平神護3年(767年正六位上から従五位下叙爵し、翌神護景雲2年(768年左衛士佐に任ぜられる。

大判事を経たのち、光仁天皇即位後間もない宝亀元年12月(771年1月)に讃岐員外介を兼任、翌宝亀2年(770年)には美濃員外介に転ずるなど、光仁朝初頭は地方官を歴任した。宝亀5年(774年主税頭に任ぜられ京官に復する。のち、従五位上・右衛門権佐に至る。

官歴

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註釈のないものは『続日本紀』による。

系譜

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  • 父:藤原良因
  • 母:従五位上○○(氏名不詳)の娘
  • 妻:縣犬養御鎮奈保の娘
  • 妻:藤原魚名の娘
    • 男子:藤原柄継
  • 妻:生母不詳の子女
    • 男子:藤原都麻呂
    • 男子:藤原助継
    • 男子:藤原鷹養(?-814?)

脚注

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  1. ^ a b c 尊卑分脈藤原南家
  2. ^ ユリウス暦では771年1月18日

出典

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