藤原鷹養
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 弘仁5年(814年)? |
官位 | 従五位上、越中守 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 藤原南家豊成流 |
父母 | 父:藤原長道、母:不詳 |
兄弟 | 根乙麻呂、柄継、都麻呂、助継、鷹養 |
藤原 鷹養(ふじわら の たかかい)は、平安時代初期の貴族。藤原南家豊成流、右衛門権佐・藤原長道の子。官位は従五位上・越中守。
経歴
[編集]紀伊守在任中の延暦23年(804年)に桓武天皇の紀伊国行幸があり、従五位上に昇叙された。大同3年(808年)造西寺長官。
弘仁元年(810年)薬子の変終結後に民部大輔に任ぜられる。弘仁3年(812年)越中守に任ぜられ地方官に転じる。弘仁5年(814年)後任の越中守に登美藤津が任ぜられており[1]、それまでに鷹養は卒去したか。なお、翌弘仁6年(815年)に官物横領を理由に、越中介・大伴黒成ら越中国の国司が官職を解かれたが、鷹養は既に没していたことを理由に免罪されている[2]。
官歴
[編集]『日本後紀』による。
- 時期不詳:従五位下。紀伊守
- 延暦23年(804年) 10月12日:従五位上
- 大同3年(808年) 11月27日:造西寺長官
- 弘仁元年(810年) 9月27日:民部大輔
- 弘仁3年(812年) 正月12日:越中守