一関市立新沼小学校
一関市立新沼小学校 | |
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校舎・体育館外観(2023年10月) | |
北緯38度53分20.41秒 東経141度20分34.03秒 / 北緯38.8890028度 東経141.3427861度座標: 北緯38度53分20.41秒 東経141度20分34.03秒 / 北緯38.8890028度 東経141.3427861度 | |
過去の名称 |
第7大学区第20中学区新沼小学 八沢村立新沼尋常小学校 八沢村立新沼尋常高等小学校 八沢村立新沼国民学校 八沢村立新沼小学校 藤沢町立新沼小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
八沢村(1875年 - 1955年) 藤沢町(1955年 - 2011年) 一関市(2011年 - 2023年) |
設立年月日 | 1873年5月3日 |
閉校年月日 | 2023年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B103220900249 |
校地面積 | 15,336 m2[1] |
校舎面積 |
普通教室棟:1,260 m2[2] 特別教室棟:600 m2[2] |
所在地 | 〒029-3402 |
岩手県一関市藤沢町新沼字関田51-2 | |
外部リンク | 公式サイト(edumap) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
一関市立新沼小学校(いちのせきしりつ にいぬましょうがっこう)は、岩手県一関市藤沢町にあった公立小学校。略称は新小(にいしょう)。
概要
[編集]学制の発布により1873年に開校し、児童の減少[3]により2023年を以って閉校した小学校である[4]。校名に「新沼」を冠していたのは、開校時この地区一帯が新沼村(1875年廃村)だったことに由来している。藤沢町の中部を占める旧新沼村域は、廃村後は「新沼地区」と称しており、同地区のほぼ全域に加えて砂子田地区と増沢地区の全域を学区としていた[5]。
校名は勅令や設置自治体の変遷などによって6回変更しており、移転は1回している。1907年に現在地へ移転するまでは、新沼字関田42番地に校舎を構えていた[6]。
校歌は、1961年に制定されたものとそれ以前に制定されたものがある。1961年制定の新校歌は相原清行が作詞し、千葉了道が作曲した。一方の旧校歌は制定時期・作者ともに不明である。歌は新旧ともに3部で構成している[7]。
児童数は、記録が残る中では1945年度の403人[8]が最多である。のちに高等科が中学校へ改組されたことで減少したものの、1959年度に340人[8]まで増加した。その後は1979年まで減少の一途をたどり、1980年代は再び増加に転じていた[注 1]。2000年代以降に関しては2001年度に76人を記録して以降、10年後(2011年度)には60人[9]、さらに10年後(2021年度)には34人[10]となり、20年間で半減していた。また、2018年度から2021年度にかけては市内の小中学校では最小の在籍数を記録したり、2014年度からは複式学級が発生していた[10][11]。
沿革
[編集]1873年5月、新沼字関田42番地に開校した第7大学区第20中学区新沼小学が起源となる[4][6]。1947年4月に八沢村立新沼小学校に校名を改称した際に八沢中学校を併設したが、1969年に藤沢町藤沢に所在する藤沢中学校への統合により閉校したため、約20年間の併設と短命であった[12][13]。その後1986年に特別教室棟を、1989年には体育館、2002年には木造2階建ての新校舎を落成した[14]。
児童の減少を踏まえ、一関市は2017年度より児童の減少問題ついて保護者や児童に対して話し合う教育環境懇談会を2年間に亘って開催した。その後、本校PTAから一関市教育委員会に対して「一関市立藤沢小学校(一関市藤沢町藤沢)へ統合し、複式学級を解消する」旨の要望書を提出した[15]。要望を受けた市教育委員会は、教育委員を用いた現地調査や意見の交換を重ねた結果をもとに、定例会議にて「藤沢小学校・新沼小学校統合基本方針」を2021年8月に策定した[15][16]。今後数年間の児童数の推計によると、およそ30人台をほぼ横ばいで推移すると見込まれていたが、依然として複式学級の解消には至らない点や、児童数の減少が学校運営に支障を来たしており、修学旅行をはじめとした各種行事の実施が困難な状況下に置かれていた点から2023年4月付で要望通りの藤沢小学校に編入統合することで、現状の問題解決や教育環境の改善が図れるとした。同年9月には統合基本方針をもとに「藤沢小学校・新沼小学校統合に係る地区懇談会」を行い、本校の保護者や学区内の住民からは「開校150周年となる次年度(2024年4月)に統合」や「統合先にて児童の孤立問題」、「スクールバスの運行問題」などの意見が出された[15][3]。同年10月には2回目の懇談会を行い、開校150周年を迎えてからの閉校よりも教育環境の改善を優先といった意見が目立った為、統合基本方針に沿った統合が決定した[17][18]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年)5月3日 - 第7大学区第20中学区新沼小学として開校[4][19]。
- 1891年(明治24年)5月 - 「八沢村立新沼尋常小学校」に改称[6]。
- 1895年(明治28年)5月 - 補習科を併設[6]。
- 1903年(明治36年)7月 - 補習科を廃止[6]。
- 1907年(明治40年)
- 1909年(明治42年)4月 - 八沢村立新沼農業補習学校を併設(同月5日開校)[21]。
- 1911年(明治44年)
- 1915年(大正4年)4月 - 校庭を拡張[22]。
- 1925年(大正14年)4月 - 八沢村立新沼青年訓練所を併設[14]。
- 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令施行に伴い、青年訓練所を廃止し八沢村立新沼青年学校を併設[21]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「八沢村立新沼国民学校」に改称[21]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行に伴い、「八沢村立新沼小学校」に改称[23]。八沢村立八沢中学校新沼分教室を併設(1949年11月5日廃止)[24]。
- 1948年(昭和23年)5月 - 新沼小学校父母と教師の会(PTA)を発足[23]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併に伴い、「藤沢町立新沼小学校」に改称[21]。
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)9月 - 校庭を拡張[23]。
- 1961年(昭和36年)6月30日 - 校歌を制定(作詞:相原清行、作曲:千葉了道)[21][25]。
- 1966年(昭和41年)
- 1968年(昭和43年)
- 1973年(昭和48年)7月 - 学校水泳プールを落成。創立百周年記念として、記念碑を設置[23]。
- 1974年(昭和49年)10月 - 給食を開始[23]。
- 1986年(昭和61年)12月 - 特別教室棟を落成[2][14]。
- 1989年(平成元年)12月 - 体育館を落成[2][19]。
- 2002年(平成14年)2月 - 新校舎と郷土資料館を落成[13]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)1月 - 欽ちゃん&香取慎吾の第75回新!仮装大賞の東北地区代表として6年生と親が出演。作品名は「新年へのバトンタッチ」[29]。
- 2008年(平成20年)6月14日 - 岩手・宮城内陸地震により校舎が被災[14]。
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震により各所が被災[30]。
- 9月26日 - 編入合併に伴い、「一関市立新沼小学校」に改称[19]。
- 2017年度(平成29年度)- 児童の減少を踏まえ、教育環境懇談会を開催(2019年度まで)[15]。
- 2021年(令和3年)
- 2023年(令和5年)
教育目標
[編集]2022年時点の教育目標[13]。
夢のつぼみは光に燃えて、さあ挑戦!
- 人間性豊かで「に」
- 命を大切にし「い」
- ぬくもりあふれる心と「ぬ」
- 学びの力をもつ子ども「ま」
施設概要
[編集]主な施設を掲載。
- 校舎
- 体育館(650 m2[1]) - 1989年落成の鉄骨造平屋建てで、1957年に落成した屋内体操場(351.18 m2)の後継にあたる[19][2][23]。
- プール - 1973年落成の鋼板造[23]。
- 校庭(5,760 m2[1])
- 郷土資料館 - 郷土資料室(1968年開設)に置き換わる形で2002年、特別教室棟と体育館の間に落成した。東磐井地方の主産業だった養蚕や稲作に関する道具や、明治時代から昭和時代にかけて家庭で使われていた道具を数百点展示していた[34]。
児童・学級数
[編集]1881年度以降の児童数と学級数の推移。
年度 | 児童数 | 増減 | 学級数 | 増減 | 出典 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1881(明治14)年度 | 81 | 不明 | [35] | |||
1896(明治29)年度 | 139 | 58 | 2 | [36] | 児童数は補習科含む | |
1901(明治34)年度 | 153 | 14 | 2 | 0 | [37][6] | |
1902(明治35)年度 | 155 | 2 | 3 | 1 | [36] | |
1903(明治36)年度 | 174 | 19 | 3 | 0 | ||
1904(明治37)年度 | 162 | -12 | 3 | 0 | ||
1905(明治38)年度 | 158 | -4 | 3 | 0 | ||
1906(明治39)年度 | 125 | -33 | 3 | 0 | ||
1907(明治40)年度 | 133 | 8 | 3 | 0 | ||
1908(明治41)年度 | 142 | 9 | 4 | 1 | ||
1909(明治42)年度 | 192 | 50 | 不明 | [35] | 補習学校併設 | |
1910(明治43)年度 | 187 | -5 | 5 | 1 | [35][38] | |
1911(明治44)年度 | 218 | 31 | 不明 | [35] | 高等科併設 | |
1912(明治45)年度 | 217 | -1 | ||||
1913(大正2)年度 | 205 | -12 | ||||
1914(大正3)年度 | 183 | -22 | ||||
1915(大正4)年度 | 190 | 7 | ||||
1916(大正5)年度 | 204 | 14 | ||||
1917(大正6)年度 | 209 | 5 | ||||
1918(大正7)年度 | 207 | -2 | 7(2) | 2 | [35][39] | |
1919(大正8)年度 | 217 | 10 | 不明 | [35] | ||
1920(大正9)年度 | 207 | -10 | ||||
1921(大正10)年度 | 225 | 18 | ||||
1922(大正11)年度 | 219 | -6 | 7(2) | 0 | [35][40] | |
1923(大正12)年度 | 218 | -1 | 不明 | [35] | ||
1924(大正13)年度 | 225 | 7 | ||||
1925(大正14)年度 | 228 | 3 | 青年訓練所併設 | |||
1926(大正15)年度 | 240 | 12 | 5 | -2 | [35][41] | |
1927(昭和2)年度 | 260 | 20 | 不明 | [35] | ||
1928(昭和3)年度 | 279 | 19 | ||||
1929(昭和4)年度 | 279 | 0 | ||||
1930(昭和5)年度 | 287 | 8 | ||||
1931(昭和6)年度 | 310 | 23 | ||||
1932(昭和7)年度 | 318 | 8 | ||||
1933(昭和8)年度 | 333 | 15 | ||||
1934(昭和9)年度 | 327 | -6 | ||||
1935(昭和10)年度 | 356 | 29 | 青年学校併設 | |||
1936(昭和11)年度 | 356 | 0 | [8] | |||
1937(昭和12)年度 | 362 | 6 | ||||
1938(昭和13)年度 | 363 | 1 | ||||
1939(昭和14)年度 | 366 | 3 | ||||
1940(昭和15)年度 | 369 | 3 | ||||
1941(昭和16)年度 | 371 | 2 | ||||
1942(昭和17)年度 | 381 | 10 | ||||
1943(昭和18)年度 | 381 | 0 | ||||
1944(昭和19)年度 | 391 | 10 | ||||
1945(昭和20)年度 | 403 | 12 | ||||
1946(昭和21)年度 | 389 | -14 | ||||
1947(昭和22)年度 | 289 | -100 | 6・3制施行 | |||
1948(昭和23)年度 | 295 | 6 | ||||
1949(昭和24)年度 | 284 | -11 | 6 | 1 | [8][42] | |
1950(昭和25)年度 | 283 | -1 | 不明 | [8] | ||
1951(昭和26)年度 | 278 | -5 | 6 | 0 | [8][43] | |
1952(昭和27)年度 | 261 | -17 | 6 | 0 | [8][44] | |
1953(昭和28)年度 | 253 | -8 | 6 | 0 | [8][45] | |
1954(昭和29)年度 | 257 | 4 | 不明 | [8] | ||
1955(昭和30)年度 | 281 | 24 | 6 | 0 | [8][46] | |
1956(昭和31)年度 | 285 | 4 | 6 | 0 | [8][47] | |
1957(昭和32)年度 | 308 | 23 | 8 | 2 | [8][48] | |
1958(昭和33)年度 | 332 | 24 | 8 | 0 | [49] | |
1959(昭和34)年度 | 340 | 8 | 8 | 0 | [8][50] | |
1960(昭和35)年度 | 338 | -2 | 9 | 1 | [8][51] | |
1961(昭和36)年度 | 335 | -3 | 9 | 0 | [8][52] | |
1962(昭和37)年度 | 309 | -26 | 8 | -1 | [8][53] | |
1963(昭和38)年度 | 277 | -32 | 7 | -1 | [8][54] | |
1964(昭和39)年度 | 259 | -18 | 7 | 0 | [8][55] | |
1965(昭和40)年度 | 235 | -24 | 7 | 0 | [8][56] | |
1966(昭和41)年度 | 219 | -16 | 6 | -1 | [8][57] | |
1967(昭和42)年度 | 204 | -15 | 6 | 0 | [58] | |
1968(昭和43)年度 | 191 | -13 | 6 | 0 | [59] | |
1969(昭和44)年度 | 183 | -8 | 6 | 0 | [60] | |
1970(昭和45)年度 | 174 | -9 | 6 | 0 | [61] | |
1971(昭和46)年度 | 166 | -8 | 6 | 0 | [62] | |
1972(昭和47)年度 | 156 | -10 | 不明 | [8] | ||
1973(昭和48)年度 | 144 | -12 | 6 | 0 | [63] | |
1974(昭和49)年度 | 138 | -6 | 6 | 0 | [64] | |
1975(昭和50)年度 | 126 | -12 | 6 | 0 | [65] | |
1976(昭和51)年度 | 115 | -11 | 6 | 0 | [66] | |
1977(昭和52)年度 | 100 | -15 | 6 | 0 | [67] | |
1978(昭和53)年度 | 97 | -3 | 6 | 0 | [68] | |
1979(昭和54)年度 | 93 | -4 | 6 | 0 | [69] | |
1980(昭和55)年度 | 100 | 7 | 6 | 0 | [70] | |
1981(昭和56)年度 | 110 | 10 | 6 | 0 | [71] | |
1982(昭和57)年度 | 129 | 19 | 6 | 0 | [72] | |
1983(昭和58)年度 | 134 | 5 | 6 | 0 | [73] | |
1984(昭和59)年度 | 137 | 3 | 6 | 0 | [74] | |
1985(昭和60)年度 | 142 | 5 | 6 | 0 | [75] | |
2000(平成12)年度 | 74 | -68 | 6 | 0 | [76] | |
2001(平成13)年度 | 76 | 2 | 6 | 0 | [77] | |
2002(平成14)年度 | 69 | -7 | 6 | 0 | [78] | |
2003(平成15)年度 | 72 | 3 | 6 | 0 | [79] | |
2004(平成16)年度 | 64 | -8 | 6 | 0 | [80] | |
2005(平成17)年度 | 66(2) | -6 | 7(1) | 1 | [81] | 特別支援学級設置 |
2006(平成18)年度 | 67(1) | 1 | 7(1) | 0 | [82] | |
2007(平成19)年度 | 62(1) | -5 | 7(1) | 0 | [83] | |
2008(平成20)年度 | 66(1) | 4 | 7(1) | 0 | [84] | |
2009(平成21)年度 | 67(1) | 1 | 7(1) | 0 | [85] | |
2010(平成22)年度 | 63 | -4 | 6 | -1 | [86] | |
2011(平成23)年度 | 60 | -3 | 6 | 0 | [9] | |
2012(平成24)年度 | 57 | -3 | 6 | 0 | [10] | |
2013(平成25)年度 | 51 | -6 | 6 | 0 | ||
2014(平成26)年度 | 46(2) | -5 | 6(1) | 0 | 複式学級設置 | |
2015(平成27)年度 | 46(2) | 0 | 6(1) | 0 | ||
2016(平成28)年度 | 39(2) | -7 | 5(1) | -1 | ||
2017(平成29)年度 | 29(2) | -10 | 4(1) | -1 | ||
2018(平成30)年度 | 26(1) | -3 | 5(1) | 1 | ||
2019(令和元)年度 | 35(3) | 9 | 5(1) | 0 | ||
2020(令和2)年度 | 36(2) | 1 | 5(1) | 0 | ||
2021(令和3)年度 | 34(2) | -2 | 6(2) | 1 | ||
2022(令和4)年度 | 36(2) | 2 | 6(2) | 0 | 閉校 | |
※児童数・学級数内の括弧は、 1918・22年度は高等科分(内数)、2005年度以降は特別支援児童・学級数(内数)。 |
学区
[編集]- 一関市藤沢町
- 砂子田
- 増沢
- 新沼(一部)
出典:[5]
進学先の中学校
[編集]- 八沢村立八沢中学校新沼分教室(八沢村新沼) - 1947年度から1949年度[24]
- 藤沢町立八沢中学校(藤沢町新沼) - 1950年度から1968年度[87]
- 藤沢町立藤沢中学校八沢校舎(藤沢町新沼) - 1969年度から1971年度[88]
- 一関市立藤沢中学校(藤沢町藤沢) - 1972年度[注 2]以降[5]
アクセス
[編集]新沼字関田の高台、一関市立新沼保育園そばに位置していた。
自動車
[編集]- 国道284号(千厩バイパス)千厩ショッピングモールエスピア前のT字路交差点から市道経由で約4分
周辺
[編集]- 新沼コミュニティセンター
- 一関市立新沼保育園
- JAいわて平泉 藤沢営農経済センター
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “いちのせきの教育2022 - はじめに・教育行政”. 一関市ホームページ. 一関市. p. 15 (2022年). 2023年1月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “一関市学校施設長寿命化計画”. 一関市ホームページ. 一関市. p. 6 (2021年3月). 2023年1月12日閲覧。
- ^ a b c 「新沼小、藤沢へ統合へ 市教委 複式解消要望受け【一関】」『岩手日日』2021年9月19日。2023年1月12日閲覧。
- ^ a b c d e 「地域を歩んだ校史 胸に 2小中で閉校式【一関】」『岩手日日』2023年3月14日。2023年3月15日閲覧。
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- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 123–124.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 131.
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- ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 164–165.
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参考文献
[編集]- 藤沢町史編纂委員会『藤沢町史 本編 下』藤沢町、1981年3月25日。doi:10.11501/9570523。 NCID BN04810187。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 一関市立新沼小学校 - edumap
- 一関市立新沼小学校 - 一関市HP(Wayback Machine・2023年2月7日アーカイブ分)
- 新沼小学校(Wayback Machine・2005年11月12日アーカイブ分)