衣掛山
衣掛山 | |
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敦賀市道口の禅源寺から見た衣掛山と敦賀衣掛大橋 | |
標高 | 181[1] m |
所在地 |
日本 福井県敦賀市 |
位置 | 北緯35度37分10.10秒 東経136度04分29.38秒 / 北緯35.6194722度 東経136.0748278度座標: 北緯35度37分10.10秒 東経136度04分29.38秒 / 北緯35.6194722度 東経136.0748278度 |
山系 | 野坂山地 |
プロジェクト 山 |
衣掛山(きぬかけやま)は、福井県敦賀市にあり、岩籠山の北尾根最北端に位置する低山である。
概要
[編集]衣掛山の北東は、近世における交通の要衝である道口(みちのくち)であり、西近江路から、敦賀、若狭、木ノ芽峠の三方面の分岐点となっている。現在においても、衣掛山麓の笙の川沿いは、滋賀県から敦賀市街に出る要路であり、国道8号、JR北陸本線が通っている。衣掛山には、鉄道ファンにはよく知られたJR北陸本線の上り線の鳩原ループ線があり、また2014年に開通した舞鶴若狭自動車道の敦賀衣掛大橋が、北陸本線、国道8号、笙の川、送電線鉄塔をまたいで、山腹を貫いている。
登山
[編集]登山道は、舞鶴若狭自動車道の敦賀衣掛大橋の下をくぐるルートとなっている。この道は、2003年に中郷地区の子ども会が中心となり整備した登山道である。標高181mの低山であり、30分程度で登頂できる。衣掛山から南側の尾根沿いにも山道は続いており、224.7mに四等三角点(基準点名「堂」)、さらに373.7mに三等三角点(基準点名「岩篭」)がある。さらに南進すると、岩籠山、夕暮山方面である。
伝承
[編集]山名の由来となっている源義経の言い伝えがある。義経一行が奥州に落ちのびる際、近江から敦賀へ北上しようと三ノ口(現在の敦賀市道口)手前に差し掛かったが、すでに関所が設けられ、越えることが容易でない状況であった。そこへ三ノ口村の美尾屋十郎が出迎え、抜け道への案内を申し出た。村外れの雁山の道無き道を抜け、ようやく、川向うに美尾屋の屋敷が見えるところまでたどりついた。義経は、一息入れ、汗を拭おうと、衣を松の木に掛けた。その後、美尾屋に逗留し、出立するとき、「きぬかけし松おもおも江そのむかし 花とは若葉のみどりなりけり」と詠み、色紙に残した。また、「困ったときに開けよ」と言って、お礼に箱を手渡した。このような経緯で、雁山は衣掛山と呼ばれるようになり、当時の関所跡は関ヶ谷の地名で残った。また、箱は開けずの箱として禅源寺に伝わるという。
ギャラリー
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敦賀衣掛大橋の真下
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衣掛山登山道から見た敦賀衣掛大橋
周辺の山
[編集]- 岩籠山
- 堂山
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田中完一編「衣掛山、堂山」『敦賀の山々 ハイキングコースガイドブック』敦賀山友クラブ、2008年(平成20年)10月25日発行、19頁。
- 中郷公民館だより「やまびこ」9-10月 平成26年8月26日発行(2016年7月24日確認)
- 『福井県史』通史編3 近世一 第四章 都市と交通の発達 第三節 街道と宿駅 二 若狭街道と西近江路(2016年7月24日確認)
- 建設総合ポータルサイト けんせつPlaza「自然と向き合い学ぶ山岳道路工事~舞鶴若狭自動車道 敦賀衣掛大橋」 (2016年7月24日確認)
- 山本晴幸編「一六、山の傳説 衣掛山(中郷村 堂、道ノ口)」『山本計一遺稿 続・郷土史論叢』日本海地誌調査研究会、2005年(平成17年)10月15日発行、347頁。
- 上杉喜寿「衣掛山」『越前若狭 続 山々のルーツ』安田書店、1987年(昭和62年)9月20日発行、351頁。