衣笠経平
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
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生誕 | 嘉禎2年(1236年) |
死没 | 文永11年5月7日(1274年6月12日) |
別名 | 正字:經平 |
官位 | 正二位、権中納言 |
主君 | 後深草天皇→亀山天皇 |
氏族 | 近衛家庶流衣笠家 |
父母 | 父:衣笠家良、母:藤原親能の娘 |
兄弟 | 経平、伊平、良命 |
妻 | 西園寺公基の娘、近衛兼経の娘 |
子 | 冬良、兼良[1]、経覚、静運、弁恵、法恵、深海、鷹司基忠室 |
衣笠 経平(きぬがさ つねひら)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。内大臣・衣笠家良の長男。官位は正二位・権中納言。
経歴
[編集]宝治元年12月(1248年1月)従五位上に叙せられる。右・左近衛中将を経て、康元2年(1257年)従三位に叙される。正嘉2年(1258年)正三位に進み、文永3年(1266年)参議に任ぜられる。
文永4年(1267年)従二位に叙される。文永5年(1268年)土佐権守を兼ね、権中納言に任ぜられ、文永6年(1269年)には帯剣を聴された。文永7年(1270年)正二位に叙されるが、文永11年(1274年)薨去。享年39。
官歴
[編集]※以下、註釈の無いものは『公卿補任』の記載に従う。
- 宝治元年12月8日(1248年1月5日):従五位上に叙す[2]。
- 康元2年(1257年)正月22日:従三位に叙す。左中将如元。
- 正嘉2年(1258年)7月9日:正三位に叙す。
- 文永元年(1264年)9月10日:服解す。
- 文永2年(1265年)正月30日:復任す。
- 文永3年(1266年)2月1日:参議に任ず。右中将如元。
- 文永4年(1267年)2月1日:復任す。2月27日:従二位に叙す。
- 文永5年(1268年)正月29日:土佐権守を兼ぬ。12月2日:権中納言に任ず。
- 文永6年(1269年)8月16日:勅授帯剣を聴す。
- 文永7年(1270年)正月5日:正二位に叙す。
- 文永10年(1273年)6月28日:最勝寺八講に参仕[3]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年