装甲艦指揮官
表示
装甲艦指揮官(そうこうかんしきかん、Befehlshaber der Panzerschiffe、B. d. P.) とは、かつてドイツ海軍に置かれた種類別司令官である。同海軍の保有する主力艦の管理を行った。
歴史
[編集]第一次世界大戦後のドイツ海軍の主力艦である戦列艦 (Linienschiffe ドイツ海軍においては前弩級戦艦を指す。標準型戦列艦 : Einheitslinienschiffとも) と装甲艦 (Panzerschiffe) の管理は戦列艦指揮官 (Befehlshaber der Linienschiffe : B. d. L.) が担い、それはドイツ国海軍がドイツ海軍となってからも継続された。しかし現役の戦列艦が退役、または練習艦に変更され、装甲艦にとってかわられたため、1936年10月1日、戦列艦指揮官は装甲艦指揮官と改められた。 1938年に新たな艦種である戦艦 (Schlachtschiffe) としてシャルンホルスト級が就役し、これも装甲艦指揮官の管理下に入った。
1939年10月、当時のBdPマルシャル中将は艦隊司令官に昇進した。しかし新たなBdPは任命されず、装甲艦と戦艦の管理は引き続きマルシャル中将が担い続けた。司令部は存続したが、スタッフは削減されていった。1940年7月31日、ついに司令部は解散された。こののちライン演習作戦においてビスマルク艦上で艦隊司令部が全滅するまで、戦艦は艦隊司令部の直接管理下に置かれることとなる。
所属艦船
[編集]装甲艦
[編集]- ドイッチュラント級 (1940年2月15日、艦種表記を重巡洋艦に変更)
- ドイッチュラント (1939年11月15日にリュッツォウ(Lützow)へ改称、艦種表記を重巡洋艦に変更)
- アトミラール・シェーア (1940年2月15日に艦種表記を重巡洋艦に変更)
- アトミラール・グラーフ・シュペー (1939年12月17日自沈)
戦艦
[編集]幹部
[編集]指揮官
[編集]- ロルフ・カールス少将 1936年10月1日 - 1936年11月24日 BdLから継続
- ヘルマン・フォン・フィッシェル少将 1936年11月25日 - 1938年2月8日
- ヴィルヘルム・マルシャル中将 1938年2月9日 - 1939年10月20日
- 空席 1939年10月21日 - 1940年7月31日 艦隊司令官マルシャル中将が担当
第一参謀
[編集]- 不明
- ウルリッヒ・ブロックシェン中佐 1939年4月から1939年10月
- ハンス・ハルトマン中佐/大佐 1939年12月1日 - 1940年4月4日
- パウル・アッシャー中佐 1940年5月 - 1940年7月31日
第二参謀
[編集]- 不明
- ゲオルク・ラングヘルト少佐 1938年3月 - 1939年12月
- ヘルマン・シュリーパー (Hermann Schlieper) 少佐 1940年5月 - 1940年7月31日
技術参謀
[編集]- 不明
- マックス・シェニツキー大佐 1938年10月 - 1939年11月
- ヴァルデマール・コーバー中佐 1939年11月 - 1940年3月
- マックス・シェニツキー大佐 1940年3月 - 1940年7月31日
その他の人物
[編集]参考文献
[編集]- ヴァルター・ローマン, ハンス・ヒルデブラント: Die deutsche Kriegsmarine, 1939–1945: Gliederung, Einsatz, Stellenbesetzung. Band 3, Podzun, 1956.