西中憲四郎
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西中 憲四郎(にしなか けんしろう、1937年11月27日 -没年不明 )は、兵庫県尼崎市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。173cm、83kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、寄り[1]。
経歴
[編集]1954年9月場所に16歳で初土俵。1958年7月場所に20歳で十両昇進し、9場所務めた。十両でも安定した成績を残していたが、十両中位の壁を破れずに1960年1月場所に幕下に陥落。その後は極度の不振に陥って急速に番付を下げ、三段目に陥落して途中休場した1962年1月場所に24歳で廃業。
主な成績
[編集]- 通算成績:184勝172敗4休 勝率.517
- 十両成績:68勝67敗 勝率.504
- 現役在位:39場所
- 十両在位:9場所
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
1954年 (昭和29年) |
x | x | x | x | 新序 3–0 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西序二段52枚目 6–2 |
東三段目84枚目 6–2 |
東三段目47枚目 2–6 |
x | 東三段目55枚目 5–3 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東三段目34枚目 5–3 |
西三段目10枚目 3–5 |
東三段目15枚目 6–2 |
x | 西幕下70枚目 7–1 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東幕下54枚目 6–2 |
西幕下34枚目 3–5 |
西幕下39枚目 6–2 |
x | 東幕下26枚目 7–1 |
西幕下11枚目 5–3 |
1958年 (昭和33年) |
西幕下8枚目 4–4 |
東幕下8枚目 6–2 |
東幕下2枚目 5–3 |
東十両23枚目 9–6 |
西十両17枚目 9–6 |
東十両13枚目 8–7 |
1959年 (昭和34年) |
東十両10枚目 7–8 |
東十両10枚目 7–8 |
東十両11枚目 9–6 |
西十両7枚目 7–8 |
東十両8枚目 6–9 |
東十両13枚目 6–9 |
1960年 (昭和35年) |
東幕下筆頭 3–5 |
東幕下4枚目 1–7 |
東幕下18枚目 1–7 |
西幕下34枚目 3–4 |
東幕下38枚目 5–2 |
東幕下29枚目 2–5 |
1961年 (昭和36年) |
西幕下40枚目 6–1 |
東幕下23枚目 0–7 |
西幕下50枚目 1–6 |
東幕下72枚目 4–3 |
東幕下65枚目 3–4 |
西幕下69枚目 2–5 |
1962年 (昭和37年) |
東三段目筆頭 引退 0–3–4 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 西中 憲四郎(にしなか けんしろう)1954年9月場所 - 1960年5月場所
- 誠山(まことやま)1960年7月場所 - 1962年1月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 西中 憲四郎 - 相撲レファレンス