西山保之
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西山 保之(にしやま やすゆき、1852年7月11日(嘉永5年10月15日[1])- 1938年(昭和13年)8月5日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]紀伊国、現在の和歌山県和歌山市で生まれる[1]。1874年(明治7年)8月24日、陸軍歩兵少尉に任官[2][3]。1876年(明治9年)陸軍戸山学校を卒業した[1]。1877年(明治10年)、西南戦争に出征し、田原坂の戦いで負傷した[1]。
その後、近衛歩兵第4連隊大隊長、台湾守備歩兵第10大隊長などを務めた[1]。1900年(明治33年)10月、歩兵中佐に昇進[3]。1878年(明治35年)11月、歩兵第43連隊長に就任[1][2]。1903年(明治36年)11月、歩兵大佐に昇進した[2]。1904年(明治37年)日露戦争に出征した[1][4]。旅順攻囲戦に参戦し、第3回総攻撃の際、東鶏冠山北堡塁で負傷し、善通寺予備病院に移送された[1][4]。1905年(明治38年)8月、歩兵第44連隊長に就任し現場に復帰した[1][2][4]。1907年(明治40年)5月、陸軍少将に進級[1]と同時に後備役に編入された[2][4][5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『徳島県歴史人物鑑』徳島新聞社、1994年。
- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治36年7月1日調』陸軍省、1903年。