西岳町
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西岳町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 宮崎県 |
市町村 | 都城市 |
地区 | 荘内地区 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 0986(都城MA)[1] |
ナンバープレート | 宮崎 |
地理
[編集]霧島山南麓に位置し、北部は高千穂峰の一部となっており、集落は山間に散在する。地名の由来は、島津荘の西の山岳地帯に立地することに因む。なお、島津荘から東の連山を東岳と呼ぶ。
江戸時代は、西岳村、薩摩藩都城島津氏領。都城郷(外城)に属す。慶長20年の史料が当村名の初見と伝わる。寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」や元禄11年「日向国覚書」、「天保郷帳」など幕府へ提出された郷帳類には当村名は見えないが、「薩藩政要録」や「島津家列朝制度」など薩摩藩の行政的な史料には当村名が見える。
歴史
[編集]にしだけむら 西岳村 | |
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廃止日 | 1956年7月15日 |
廃止理由 |
新設合併 西岳村、庄内町 → 荘内町 |
現在の自治体 | 都城市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 宮崎県 |
郡 | 北諸県郡 |
総人口 |
7,467人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
庄内町、山田町、西諸県郡高原町、小林市 鹿児島県姶良郡霧島村、曽於郡財部町 |
西岳村役場 | |
所在地 | 宮崎県北諸県郡西岳村 |
ウィキプロジェクト |
- 明治4年(1871年) ― 廃藩置県後、鹿児島県、都城県を経て、1873年(明治6年)より宮崎県(第一次)、1876年(明治9年)より鹿児島県、1883年(明治16年)からは宮崎県(第二次)に所属。同年北諸県郡に属す。
- 1889年(明治22年) ― 庄内村の大字となる。
- 1891年(明治24年)7月4日 ― 大字西岳が庄内村より分離し、西岳村が発足[2]。大字は西岳のみ。分村の理由は、庄内村役場から遠く不便であったからという。
- 1956年(昭和31年)7月15日 ― 庄内町と合併し荘内町を新設し[2]、村制時の1大字は同町の大字に継承。
- 1965年(昭和40年) ― 都城市西岳町となる
- 1976年(昭和51年) ― 美川町・高野町・吉之元町・夏尾町・御池町に分割し消滅。以降、都城市荘内地区となる。
交通
[編集]施設
[編集]- 都城市立西岳小学校
- 都城市立夏尾小学校
- 都城市立吉之元小学校
- 都城市立西岳中学校
- 都城市立夏尾中学校
- 西岳郵便局
- 夏尾簡易郵便局
- 都城市警察署西岳駐在所
観光・スポット
[編集]- 御池神社
- 荒武神社
- 皇子港
- 青少年自然の家
地域
[編集]荘内(西岳)地区美川町
[編集]- 大倉田
- 小椎山
- 竹山
- 幣次
- 宮島
- 郷ヶ原
- 白谷
- 今ヶ倉
- 渡司
- 宮前
- 中村
荘内(西岳)地区高野町
[編集]- 高野
- 胡麻ヶ野
- 上大塚
- 下大塚
- 荒川内
- 板川内
荘内(西岳)地区吉之元町
[編集]- 東折田代
- 西折田代
- 折田代
- 東田野
- 西田野
- 荒襲
- 武床
- 猪子石
荘内(西岳)地区御池町
[編集]- 戸ノ口
- 有明
- 札立原
- 横尾
- 中山
- 望原
- 市の久保
- 折ヶ久保
荘内(西岳)地区夏尾町
[編集]- 夏尾
- 竹の元
- 山中
- 伊保尻
- 尾首山
- 馬渡
- 芹川内
- 東牛ノ脛
- 西牛ノ脛
- 上牛ノ脛
- 方添
- 宮前
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]高原町 | ||||
鹿児島県霧島市霧島町 | 山田町 | |||
西岳町 | ||||
鹿児島県曽於市財部町下財部 | 庄内町 |