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西恒次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西 恒次郎(にし こうじろう、1889年(明治22年)11月 - 1971年(昭和46年)2月)は、日本医師。倫理哲学者西晋一郎の弟。

経歴

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鳥取県鳥取市出身。士族[1]西昇蔵の二男。

第七高等学校造士館を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学医科大学医学科を卒業、副手となって母校で研修し、その傍ら駒込病院に3年間勤務した。

1918年(大正7年)5月、新潟県吉田病院長として赴任した。

1926年(大正15年)5月、京都府綾部町の郡是製糸の郡是病院長となり、1948年(昭和23年)まで勤務した。

家族

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系譜

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西家
分知家医師の西家の初代は西恕庵といい、明和6年(1769年鳥取藩西分知家四代池田定得に召抱えられた。四代目の昇蔵は武士となって廃藩をむかえた。[2]
  
                     ┏信蔵
               ┏晋一郎━━┫   
恕庵━━恕庵━━柳庵━━昇蔵━┫     ┗順蔵
               ┗恒次郎
                 ┣━━━━禄郎
          佐々木半市━清子

参考文献

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  • 森納続 因伯の医師たち』 1985年 291-294頁, 全国書誌番号:86018224

脚注

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  1. ^ 元両分家御医師帳(県立博物館蔵)
  2. ^ 森納著『続 因伯の医師たち』291頁

外部リンク

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