池田定得
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦4年8月19日(1754年10月5日) |
死没 | 安永2年7月9日(1773年8月26日) |
改名 | 和三郎、定得 |
戒名 | 瑞泰院殿善倫為宝大居士 |
墓所 | 鳥取県鳥取市国府町奥谷の鳥取藩主池田家墓所 |
官位 | 従五位下大隅守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 因幡若桜藩主 |
氏族 | 池田氏(清定流) |
父母 | 池田定就、山瀬氏 |
子 | 定常 |
池田 定得(いけだ さだのり)は、江戸時代中期の大名。因幡国鳥取西館新田藩(若桜藩)4代藩主。官位は従五位下大隅守。
略歴
[編集]3代藩主・池田定就の長男として誕生。幼名は和三郎。
明和5年(1768年)4月13日、父・定就の隠居により跡を継いだが、安永2年(1773年)7月9日に実子のないまま病死した。遺言によって旗本・池田政勝の次男・池田定常(冠山)が跡を継いだ。法号は瑞泰院殿善倫為宝大居士。墓所は鳥取県岩美郡国府町奥谷(現・鳥取市)の池田家墓所。