池田定興
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政3年8月26日(1791年9月23日) |
死没 | 文化4年11月3日(1807年12月1日) |
改名 | 武次郎・悦次郎、定興 |
戒名 | 良智院殿慈眼円明大居士 |
墓所 | 鳥取県鳥取市国府町奥谷の鳥取藩主池田家墓所 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 因幡若桜藩主 |
氏族 | 池田氏(清定流) |
父母 | 池田定常、柿沼氏 |
兄弟 |
徽子、煕子、定興、奉姫、恵子、茄子、 恭之助、力三郎、千之丞、常久、昌子、 鎮子、定保、定足、房子、奉子、松平露ら |
子 | 定保 |
池田 定興(いけだ さだおき)は、江戸時代後期の大名。因幡国鳥取西館新田藩(若桜藩)6代藩主。夭折のため官位はない。
略歴
[編集]5代藩主・池田定常(松平冠山)の長男として誕生。幼名は武次郎。悦次郎。
享和2年(1802年)11月、父が隠居したため家督を継いだ。文化(1807年)に17歳で夭折し、跡を弟の定保が継いだ。法号は良智院殿慈眼円明大居士。墓所は鳥取県鳥取市国府町奥谷の池田家墓所。