池田清緝
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時代 | 江戸時代末期(幕末) |
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生誕 | 天保14年閏9月11日(1843年11月2日) |
死没 | 文久2年8月24日(1862年9月17日) |
改名 | 為之助・靭負(幼名)、清緝 |
戒名 | 覚性院緝山元勇 |
墓所 | 鳥取県鳥取市国府町奥谷の池田家墓所 |
官位 | 従五位下、左衛門佐 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 因幡国若桜藩主 |
氏族 | 池田氏 |
父母 | 父:池田仲諟、養父:池田清直 |
兄弟 | 清緝、徳定、徳澄、映子(池田仲建正室) |
妻 | 正室:静子(池田定保三女・池田清直養女) |
子 | 実子:なし、養子:徳定 |
池田 清緝(いけだ きよつぐ)は、因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)の第9代藩主。
略伝
[編集]天保14年(1843年)閏9月11日、第8代藩主・池田清直の兄・池田仲諟の長男として江戸で生まれる。安政5年(1858年)に叔父・清直が死去したため、その養子として家督を継ぎ、12月15日に従五位下・左衛門佐に叙位・任官する。
江戸城御門番、駿府加番などを歴任した。文久2年(1862年)8月24日、江戸で死去した。享年20。跡を弟で養子の徳定が継いだ。