西来庵事件
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(西来庵独立蜂起から転送)
西来庵事件 | |
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西来庵事件で台南刑務所より台南地方法院に押送される逮捕者 | |
戦争:台湾抗日運動 | |
年月日:1915年7月6日 - 1916年4月16日 | |
場所:台湾島 | |
結果:日本軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
大明慈悲国 | 大日本帝国 |
指導者・指揮官 | |
江燐 | 木下宇三郎 |
戦力 | |
1,957人 | 不明 |
損害 | |
逮捕者 1,957人 | 戦没 95人 |
西来庵事件(せいらいあんじけん)は、1915年(大正4年)に日本領台湾の台南庁噍吧哖(タパニー、現・玉井)で発生した武装蜂起。地名から「タパニー事件」とも、首謀者が余清芳であったことから「余清芳事件」ともいう。本島人による最後の抗日武装蜂起であった。
概要[編集]
首謀者の余清芳は、かつて台湾総督府警察の警察官であった。その後警察を退職し、職を転々と変えた後、最終的に西来庵に出入りするようになった。そして布教活動の傍ら、西来庵をアジトに抗日武装蜂起を計画するようになった。
1915年、基隆で同志が逮捕されたことから計画が発覚、余清芳一党は逸早く山間部に逃げ込み、ゲリラ戦を展開した。余清芳は「大明慈悲国奉旨平台征伐天下大元帥余」を自称し、西来庵の祭神である「五福王爺」の神勅を利用するなど宗教色の強いものであった。最終的に日本人95人が殺された。
事件に関連し逮捕検挙された者の総数は1957人を数え、死刑判決を受けた者は866人となった。しかし、死刑囚866人はさすがに多すぎるため、被害者と同数の95人のみを執行(132人とする資料も存在[1])。その他は大正天皇の即位記念恩赦ということで減刑した。
首謀者[編集]
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余清芳
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羅俊
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江定
脚注[編集]
- ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、403頁。ISBN 4-309-22361-3。
参考文献[編集]
- 松下芳男『暴徒鎮圧史』柏書房、1977年
- 古野直也『台湾軍司令部 1895-1945』国書刊行会、1991年