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片上

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西片上から転送)
日本 > 岡山県 > 備前市 > 片上
東片上
備前市役所
備前市役所
日本
都道府県 岡山県
市町村 備前市
行政地区(広域) 備前
行政地区 片上
人口
(2013年)
 • 合計 2,364人
郵便番号
705-0022
西片上
真光寺本堂
真光寺本堂
日本
都道府県 岡山県
市町村 備前市
行政地区(広域) 備前
行政地区 片上
人口
(2013年)
 • 合計 1,427人
郵便番号
705-0021

片上(かたかみ)は、岡山県備前市にある地区である。かつての和気郡片上町(かたかみちょう)に相当する。東片上(ひがしかたかみ)・西片上(にしかたかみ)の大字からなり、同市の中心市街にあたる。東片上は同市の市役所所在地。

東片上・西片上はそれぞれ近世には和気郡東片上村西片上村であった。江戸時代、西片上は、岡山藩公認の在町のひとつで、港町宿場町として繁栄した。

人口は3347人(男性1651人、女性1696人)、世帯数は1646世帯(ともに2021年1月1日現在)[1]

郵便番号は、東片上が705-0022(備前郵便局管区)、西片上が705-0021(備前郵便局管区)。

概要

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片上市街

国道2号が東西に走り、JR赤穂線の駅が西片上駅備前片上駅と2つあり、ターミナルとなるバス停もある。商業施設は西片上が中心となり、その中心に片上商店街がある。しかし現在はシャッター商店街となりつつあり、商業の中心はマックスバリュエディオンといった大型駐車場をそなえた郊外型の店舗にとって変わられつつある。

街の南側には備前港があり、港に沿って工業地帯となっている。国道2号より北は丘陵地となっており、住宅地や商業地はほとんど国道2号線の南側にある。

市の中心市街にあたり、片上湾の奥に位置。片上湾は水深の浅い湾ではあるが、古代から内海航路の要港として「かたかみ」の名が文献にもあらわれ、美作国の貢納稲をこの港まで運搬して船送りしていた時代もある。古くは東片上・西片上と分かれておらず、「片上」として一つの村であった。現在のように西と東に分かれたのはいつからか定かではないが、江戸時代にはすでに東西に分かれていた[2]

現在、東片上西部に市役所が置かれているが、商業など経済面での中心は近世よりずっと西片上であった。第1次備前市が発足するまで、備前町および前身の片上町(片上村)の役場も西片上にあった[2]

当地、特に西片上には寺社が多く、宇佐八幡宮恵美須神社真言宗真光寺浄土宗大長寺日蓮宗法鏡寺一向宗正覚寺などがあり、真光寺本堂および三重塔は室町時代の建築で、国指定重要文化財。 また他にも浦上国秀が居城した富田松山城跡、本陣小国家(一部)などの史跡が残っている[2]

地勢

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南面は片上湾、他三方は山地に囲まれ、湾と山地の間に平地がある。東片上は山に挟まれた東西に細長い大渕川扇状地があり、元はの田畑が多い農村地であった。西片上は前述の通り古くから港町で、また宿場町でもあり、商業が盛んであったが、北部から南流し片上湾に注ぐ流川の中流沿いの狭い平地は農地であった[2][3]

山岳
河川
海域

沿革

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歴史

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片上は古くは多様な表記がされ、「かた」は「片」の他「方」「潟」「形」「肩」など、「かみ」は「上」の他に「神」などの字を用いたが、天正年間から片上の使用が多くなった[2]

平安時代の貞観17年(875年)12月、備前国司藤原保則が任期を終えて京へ帰る途中、従者を待つため和気郡方上津に舟を入れて滞在した記事が『大日本史』の保則伝に見える[2]

山陽道三石から片上を通るように路線を変えたのは鎌倉時代の末期か、南北朝のはじめといわれるが、鎌倉時代初期には片上を通っていたという説もある(中世山陽道)[2]

戦国時代になると、天正10年(1582年)3月、備中高松へ出陣する羽柴秀吉浦伊部の豪族法悦来住家の先祖)の屋敷に宿泊し、帰路には片上から夜半舟に乗って赤穂に急ぎ、ここから陸路姫路城へ帰っている[2]

江戸時代に入り、主要街道に宿場が整備されると西片上村には本陣脇本陣問屋などが定められた。また、備前岡山藩の蔵屋敷が設けられ、和気郡一円と邑久郡東北部の年責米を収納した。収納米の一部は地元の問屋(和泉屋)が引き受けて売却し、大部分は片上港から船積みして大坂の備前屋敷に送った。西片上村は岡山藩領下の公式な在町として許され、商人の町筋をつくった[2]

『吉備温故秘録』に、西片上村、岡山京橋まで6里7町、船路13里、高462石2斗1升、田畑40町1反5畝13歩、家数 436軒、男女1980人、池5ヶ所、海船33艘があげられ、御米蔵があるとし、産物として、毛抜しらもイイダコを記している。また東片上村は、岡山京橋まで6里21町、船路13里、高610石6斗4升,田畑71町8反5畝9歩、家数147軒、男女823人、池16ヶ所をあげている[2]

中世の山陽道は西片上から浦伊部を通り伊部へ向かっていたが、近世山陽道(西国街道)は、葛坂を越えるように路線が変えられた。東片上の街道端にというところに藤茶屋という茶店があったとされる[2]

明治22年6月1日、西上村と東片上村とが合併して片上村を新設し、西片上に村役場を置く。同34年2月12日、町制を施行し片上町に改称[2]

大正12年2月には片上鉄道が開通。山陽本線和気駅を経て勝田郡(現久米郡柵原鉱山に達する鉄道輸送が始まり、片上港(現備前港)が陸海を結ぶ要衝となるとともに、品川白煉瓦岡山工場などの大企業が湾岸に進出、片上は著しく工業地的精彩を加える時代をむかえた[2]

昭和26年4月1日、和気郡伊部町と合併して同郡備前町を新設、同30年3月31日に付近の町村を編入、同46年4月1日、同郡三石町と合併して備前市を新設し、東片上に市役所を構えた[2]。平成17年に旧備前市・和気郡日生町吉永町が合併し、新しい備前市が新設されるが、引き続き同市役所が使用されている。

かつては米、麦を主とする農産物を筆頭に、耐火煉瓦などの工業製品、水産物を主要産物にしていた[2]

平成3年7月1日、片上鉄道が廃止となった。

2020年(令和2年)には備前市役所の新庁舎が開庁した。

年表

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片上地区の出来事
年月日 出来事 備考
貞観17年12月 藤原保則が帰京の途中に方上津に滞在。
天正12年2月 羽柴秀吉が、備中高松攻めの後、片上津より出航。
明治22年6月1日 町村制施行により、和気郡西片上村・東片上村が合併して同郡片上村を新設。西片上に役場を設置。
明治34年2月12日 和気郡片上村が町制を施行し、同郡片上町に改称。
大正12年2月 片上鉄道が開通し、西片上に片上駅が開業する。
昭和26年4月1日 片上町が和気郡伊部町と合併して同郡備前町を新設。役場を西片上に設置。
昭和30年3月31日 備前町が和気郡伊里町香登町鶴山村邑久郡鶴山村を編入。
昭和46年4月1日 和気郡備前町・三石町とが合併して備前市(旧)を新設。市役所を東片上に設置。
平成17年3月22日 旧備前市・和気郡日生町吉永町が合併し、備前市(新)を新設。東片上の旧備前市役所を新市役所とする。

人口・世帯数等

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2021年現在[1]

片上地区の人口・世帯数
地区 世帯数 男女人口 男性人口 女性人口 備考
東片上 1047 1086 1043 2129
西片上 599 565 653 1218
(総計) 1646 1651 1696 3347

アルファビゼン

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アルファビゼン

当地の西片上の片上商店街に中心市街地活性化の起爆剤として1984年10月に大型商業施設「アルファビゼン」(旧天満屋ハピータウン備前店)が開業した。建物は7階建て、うち地下1階〜4階が店舗、5〜7階+屋上が駐車場となっていた。テナントとしてマクドナルド銀座ジュエリーマキといった全国展開するテナントもはいっていたが、地域限定の店舗も多くはいっていた。一時は県外からも集客するなどし、備前市のシンボル的存在ともなっていた。しかし、集客が低迷し2002年2月に核テナントの天満屋ストアが撤退。さらにその約半年後、管理会社も破産し、閉店した[4]。解体費用は5億円強と試算された。

同施設を解体するべきかが問題となっていたが、2008年(平成20年)3月31日、備前市とNPO法人片上まちづくりの間で賃貸借契約が行われ、建物はNPO法人片上まちづくりの管理下となった。 この賃貸借契約は、年間360万円の賃料で、保守修繕改修等すべての経費をNPOが負担し、賃貸契約解除の後に、解体費用の5億円強を賃借人が負担し、更地にして備前市に返還するというものである。

アルファビゼンの問題は沈静化していたが、2009年(平成21年)9月29日に賃借人であるNPOが運営の行き詰まりを理由として当該不動産の返還を市側に申し入れを行い、同年年末をもって返還した。市側は上記契約の解体費用の負担をNPO法人片上まちづくりとその連帯保証人に対して行うような姿勢を示した。

2012年3月には真庭市超硬合金製品メーカーのアロイ工業が施設を賃借、リチウムイオン電池の製造工場とする計画を提案。市と協議をすすめていたが、施設改修費が1億円程度かかると見込まれることから、同社が市へ改修費の全額補助を求めたため、市は全額補助は困難として協議中止を同年4月23日に通知、5月7日に正式に協議中止を公表した[5]。その後は津波避難場所という名目で残されており、地元住民からは跡地の有効利用を求める声が挙がっていた[6]

アルファビゼン跡地の再開発

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備前市は2020年にアルファビゼン跡地に整備する「まちづくり拠点施設」に関する基本構想をまとめ、「屋外イベント広場」「バス停」など五つの共通機能を持たせた3案を発表し、この時点では秋までに1案に絞り込んだ後、2020年度内に実施設計に着手。23年春のオープンを目指していた[7]

2021年春の市長選挙で当時の現職を破って市長に再就任した[8]吉村武司は同年6月17日の備前市議会で基本計画を2021年度中に見直す方針を明らかにし、新たな計画の中身については検討中とした[9]。11月24日の市議会で吉村は上層部を部分解体して再利用する減築案も選択肢とする考えを明らかにし、従来の全面解体案と比較しながら来年3月までに方針を固める事を明らかにした[10]。このうち、減築案では駐車場として使われていた地上5 - 7階部分を撤去したうえで、1 - 4階を改装、省スペース化して再利用する。市民センター(西片上)内の中央、片上両公民館を移設するほか、新設を目指す医療・福祉系の専門学校の誘致などを検討している。一方の全面解体案では基本的に従来計画を踏襲し、両公民館の移設などを想定している。吉村は先の記者会見で「完全解体か、一部を残す減築かを議員や市民の意見を聞きながら判断したい」と述べている。

 

主要施設

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備前市歴史民俗資料館

東片上

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公的施設
福祉施設
郵便局
金融機関
交通機関
一般企業・商店
神社仏閣

西片上

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公的施設
教育施設
医療・福祉施設
郵便局
金融機関
交通施設
一般企業・商店
公園施設・史跡
神社仏閣・その他宗教施設

交通

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道路
鉄道
バス

参考文献

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  • 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  • 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)

脚注

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  1. ^ a b 岡山県備前市 行政区別人口・世帯数2021年1月閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
  3. ^ 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
  4. ^ Vision岡山 2004年4.11号34ページ2013年1月閲覧
  5. ^ アルファビゼン賃借で協議打ち切り 備前市 業者と改修費など折り合わず - さんようタウンナビ - 山陽新聞2013年1月閲覧
  6. ^ “岡山)旧アルファビゼン「跡地の有効利用を」”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/amp/articles/ASM5Z46TWM5ZPPZB00C.html 2019年6月19日閲覧。 
  7. ^ “アルファビゼン跡どうなる? 拠点施設、基本構想に3案併記”. 山陽新聞. https://www.sanyonews.jp/sp/article/1016457/ 2020年5月29日閲覧。 
  8. ^ “備前市長選 吉村氏が返り咲き 田原氏に競り勝つ”. 山陽新聞. https://www.sanyonews.jp/sp/article/1118931 2021年4月12日閲覧。 
  9. ^ “アルファビゼン跡地活用見直しへ 年度内に備前市「中身は検討中」”. 山陽新聞. https://www.sanyonews.jp/sp/article/1142242 2021年6月17日閲覧。 
  10. ^ “アルファビゼン 減築案も選択肢 備前市長 全面解体案と比較検討へ”. 山陽新聞. https://www.sanyonews.jp/sp/article/1200556 2021年11月24日閲覧。 

外部リンク

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関連項目

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