西田収三
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西田 収三(收三、にしだ しゅうぞう、1854年7月19日(安政元年6月25日[1]) - 1925年(大正14年)6月19日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]越中国新川郡舌山新村(のち富山県下新川郡若栗村→桜井町、現・黒部市)出身[1]。漢学と英語を学ぶ[2]。生家は地主で酒造業を営んだ[1]。学務委員、若栗村外二十三ヶ村戸長、同村会議員、下新川郡会議員となる[1]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において富山2区から進歩党公認で立候補して当選する[3]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党公認で立候補して再選した[4]。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1925年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。