コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

西脇呉石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西脇呉石(昭和30年77歳)

西脇 呉石(にしわき ごせき  1879年(明治12年)3月8日 - 1970年(昭和45年)11月7日)は、日本書家。名は静、字は如練・子遠[1]

人物

[編集]

福井県大野郡勝山町(現在の福井県勝山市)出身。戦前は福井高等女学校教諭東京府師範学校教諭、東京府立第三高等女学校講師などを務めた。

書を大阪の村田海石に学んだが、その存命中から東京で日下部鳴鶴にも学んだ。この他漢学を富田鴎波、漢詩を国分青崖岡崎春石に学び、南画を長田雲堂三谷耕雲原田尾山に学んだ。日本において詩書画に通じた最後の人物の一人である。

1917年(大正6年)には文部省より委嘱をうけて国定書キ方手本を揮毫したことで著名であるが、日展会員・毎日書道展名誉会員として戦後の展覧会にも多数の作品を出品した[2]文化書道会会長。

石碑の揮毫も手がけており、現在全国に35基ほどの石碑を確認できる[3]

略歴

[編集]

『特別展覧会生誕140年記念 福井の偉人書家西脇呉石』展図録(勝山城博物館、2019年)より作成。

家族・親族関係

[編集]

著作

[編集]

現在140種を超える教科書や出版物が確認されている[7]

  • 『高等女学校用新撰習字帖』1904年
  • 『新編普通日用文範』1906年
  • 『三体千字文』1910年
  • 『中学校用習字教科書』1911年
  • 『仮名習字小倉百人一首』1913年
  • 『中学臨書帖』1915年
  • 『実用能書術』1917年
  • 『尋常小学書キ方手本』1918年[8]
  • 『呉石習字帖』1921年
  • 『楷行草書翰文仮名交り文ペン習字帖』1923年
  • 『硬筆書方手本』1927年
  • 『師範親書鑒』1931年
  • 『呉石書画集』1934年
  • 『呉石翰墨』1936年
  • 『草書の習ひ方』1940年
  • 『中等習字』1948年
  • 『文化書道講座』1949年
  • 『当用漢字略字新字体毛筆ペン三体帖』1950年[9]
  • 『あたらしいかきかた』1952年
  • 『呉石詩書画』1955年
  • 『呉石詩書選集』上・下 1958年
  • 『色紙短冊集』1959年
  • 『文化高等書道講座』1961年
  • 『呉石詩草』1963年
  • 『呉石作品集』1964年
  • 『西脇呉石米寿記念詩書画』1966年
  • 『西脇呉石米寿記念南山帖』1966年
  • 『呉石玉蘭書画帖』1967年
  • 『揮毫寶典』1968年
  • 『満九十歳記念呉石詩書画』1969年

脚註

[編集]
  1. ^ 「如練」の号は主に戦前までしか使われていない(特別展覧会「生誕140年記念 福井の偉人書家西脇呉石」展示解説より)。
  2. ^ 教科書の書と展覧会の書は全く別の芸術観で書いたとの説がある(林淳「西脇呉石の芸術書観-教科書揮毫者との二面性-」『書論』45号200ページ)。
  3. ^ 林淳『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1700基-』収録「西脇呉石石碑一覧表」(勝山城博物館 2018年)
  4. ^ 西脇呉石「鳴鶴先生を偲びて」『書之友』第2巻第6号(P26、雄山閣、1936年)
  5. ^ 近藤雪竹渡辺沙鴎らを抑えての受賞。
  6. ^ 呉石は3歳で分家である西脇要右衛門の養子となった。要右衛門は勝山藩最後の藩主小笠原長守の祐筆であった人物(『特別展覧会生誕140年記念 福井の偉人書家西脇呉石』展図録P3)。
  7. ^ 『特別展覧会生誕140年記念 福井の偉人書家西脇呉石』展図録(PP.55-56、勝山城博物館、2019年)
  8. ^ 国定第3期乙種の教科書。各学年上下2冊の計12冊を揮毫。前年に委嘱をうけ、この年発行された。
  9. ^ OCLC 34622979

参考文献

[編集]
  • 『東洋文化』復刊第二十六号、無窮会、1971年
  • 『特別展覧会 西脇呉石乃世界』勝山城博物館、2008年
  • 林淳『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1700基-』2018年
  • 林淳編『特別展覧会 生誕140年記念 福井の偉人書家西脇呉石』勝山城博物館、2019年
  • 林淳「西脇呉石の芸術書観-教科書揮毫者との二面性-」『書論』45号 書論研究会、2019年

外部リンク

[編集]