西貝塚 (磐田市)
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西貝塚 | |
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大字 | |
ヤマハスタジアム | |
北緯34度42分42秒 東経137度52分25秒 / 北緯34.71167度 東経137.87361度座標: 北緯34度42分42秒 東経137度52分25秒 / 北緯34.71167度 東経137.87361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 磐田市 |
人口情報(2023年11月30日) | |
人口 | 3,939 人 |
設置日 | 1889年(明治22年) |
郵便番号 | 438-0026 |
市外局番 | 0538 |
ナンバープレート | 浜松 |
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西貝塚(にしかいづか)は、静岡県磐田市の大字。市の統計などでは西貝地区で分類されている。郵便番号は438-0026。
地理
[編集]磐田市中心部の東寄りに位置する。西に今之浦川、東に倉西川、中央部を安久路川がそれぞれ南流している。磐田原台地の南端にあたる城之崎丘陵は宅地化が進み、南側の平野部には水田が広がる。
域内には地名の由来となった西貝塚遺跡がある[1]。縄文時代後期から晩期の貝塚群で、住居跡は見つかっていないが、埋葬された人骨や、多数の土器・石器、骨や貝の加工品などが発掘されている。蜆塚遺跡(浜松市)と共に、遠江貝塚群のひとつに挙げられる。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 西貝塚村・西之島村・上南田村が合併し西貝村が発足。西貝村の大字となる。西貝村の役場が置かれる。
- 1940年(昭和15年)11月1日 - 西貝村・見付町・中泉町・天竜村と合併して磐田町が発足。磐田町の大字となる。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 磐田町が市制施行し、磐田市となる。磐田市の大字となる。
- 1958年(昭和33年)11月上旬 - 西貝塚遺跡の大規模な発掘調査が行われる。
- 1970年(昭和45年) - 西貝塚の一部が城之崎1~4丁目となる。
- 1975年(昭和50年) - 西貝塚の一部が東山となる。
- 時期不明(平成?) - 西貝塚の一部が安久路となる。
人口
[編集]2023年11月末時点で、1765世帯・3939人[2]
通学区
[編集]- 小学校通学区 - 磐田市立磐田中部小学校・磐田市立東部小学校・磐田市立富士見小学校に分かれる[3]。
- 中学校通学区 - 磐田市立磐田第一中学校・磐田市立城山中学校・磐田市立神明中学校に分かれる[4]。
施設
[編集]公園・緑地
[編集]- 西貝塚公園
- 緑ケ丘霊園
- ひょうたん池
生活施設
[編集]- 西貝交流センター
- 東大久保団地
- 西貝保育園
商業施設
[編集]- イオンタウン磐田
- ジャンボエンチョー磐田店
- フードマーケット マム磐田南店
宗教施設
[編集]- 永福寺
- 須賀神社
- 林宝院
教育関連施設
[編集]- 静岡県立浜松特別支援学校磐田分校・磐田学園
- 中遠建築高等職業訓練校
ヤマハ発動機
[編集]西貝塚の東に位置する新貝にはヤマハ発動機の本社があり、工場・関連施設の一部は西貝塚にも立地している。
サッカーやラグビーの球技専用施設であるヤマハスタジアムもそのひとつで、公式の住所は「磐田市新貝2500」となっているが、これはヤマハ発動機本社所在地の住所と同一であり、スタジアム自体は事実上、西貝塚に立地している。
交通
[編集]鉄道
[編集]域内を東海道本線・東海道新幹線が通っているが駅はない。最寄り駅は東海道本線の磐田駅・御厨駅。
路線バス
[編集]- 遠鉄バス 城之崎線
(磐田駅)← ひょうたん池 - 西貝塚北 →(磐田営業所)
道路
[編集]脚注
[編集]- ^ 麻生, 優、平野, 和男、市原, 寿文、加藤, 芳朗、金子, 浩昌、鈴木, 尚、佐倉, 朔、遠藤, 萬里『西貝塚』1961年1月25日(原著1961年1月25日)。doi:10.24484/sitereports.12422。 NCID BA53625077 。
- ^ 大字別人口表(令和5年11月末現在)磐田市の人口 令和五年度 - 磐田市公式ウェブサイト
- ^ 小学校通学区 磐田市公式ウェブサイト
- ^ 中学校通学区 磐田市公式ウェブサイト
参考資料
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