計算流体力学研究所
表示
種類 | 株式会社(非上場) |
---|---|
略称 | 流体研、iCFD |
本社所在地 |
日本 〒152-0011 東京都目黒区原町一丁目16番5号 |
設立 | 1985年11月 |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 8013201001840 |
事業内容 | 受託解析及びソフトウェア販売、他 |
代表者 | 桑原 諸兄(代表取締役) |
資本金 | 5,000万円(2006年4月1日現在) |
従業員数 | 9名(2006年4月1日現在) |
関係する人物 | 桑原邦郎(元取締役、元CEO) |
外部リンク | www.icfd.co.jp/ |
株式会社計算流体力学研究所(けいさんりゅうたいりきがくけんきゅうじょ、英: Institute of Computational Fluid Dynamics: iCFD)は、東京都目黒区に本社を置く情報サービス会社である。流体解析に関わるコンサルティング、受託解析、ソフトウェア開発、計算機システムの構築・販売を主な業務内容とする。
事実上の創業者は、日本の計算流体力学の第一人者であり宇宙科学研究所(後のJAXA)に所属していた桑原邦郎(1942~2008)で、1985年の創業以来亡くなるまで事実上の代表者を務めた。
沿革
[編集]- 1985年11月 桑原邦郎が東京都目黒区の自宅で創業。
- 1987年5月 最初のスーパーコンピュータ(富士通製 FACOM VP200)を導入。以後順次台数を増やし、ピーク時にはNEC、日立製作所など合計7台のスパコンを保有する。
- 1990年 NHKスペシャル「銀河宇宙オデッセイ」のCGを制作。
- 1990年代 日本のほとんどの自動車メーカーが、流体研に自社の研究員を駐在させる。
- 1990年代末 スパコンがパソコンに置き換わる。
- 2010年11月 スパコンが置かれていた、流体研の移転前の土地[1]・建物を日本ラッド[2]が買い取り、国内初の完全外気冷却のデータセンターに改装した[3][4]。その後2016年に日本ラッドは同データセンターの土地・建物を売却した[5]。
エピソード
[編集]「週刊東洋経済」2003年2月22日号pp.66-67に、下記のエピソードが記載されている。
- 創業当時、閑静な住宅地にスーパーコンピュータが次々と運び込まれたことを米国の情報機関が聞きつけ、「極秘に核兵器の開発をしているのではないか」と疑われた。当時の流体研の計算能力は、米国の軍事研究機関を凌いでいた。
- 創業資金は、数十億円の父親の遺産。桑原家は目黒区の大地主であった。目黒区内のいくつかの小中学校の敷地は、桑原家の寄付によるものだという。
- スーパーコンピュータは最盛期で7台がフル稼働していたが、その頃の流体研の電気代は、月額2,000万円を超えていた。
脚注
[編集]- ^ 現在地と同じ目黒区原町一丁目に所在していた。
- ^ 2002年から流体研に出資している。
- ^ “日本ラッド、省エネデータセンターの建設第二期工事を着工”. クラウドWatch. インプレス (2011年12月6日). 2022年10月1日閲覧。
- ^ 大谷イビサ (2011年2月8日). “商店街を抜けると、そこは排熱型データセンターだった”. ASCII.jp. 2020年9月8日閲覧。
- ^ “日本ラッド---一時ストップ高、データセンター売却に伴い特別利益計上”. REUTERS (2016年1月5日). 2020年9月8日閲覧。
関連項目
[編集]- 桑原邦郎(創業者、取締役、CEO)
- 流体力学
- スーパーコンピュータ