谷義廉
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谷 義廉(たに よしかど、1887年(明治20年)9月8日[1][2] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。屏東市尹。
経歴・人物
[編集]谷審の長男として福岡県糸島郡に生まれる[1]。福岡県立中学修猷館を経て、1909年(明治42年)台湾総督府国語学校師範部甲科を卒業する[1]。嘉義公学校教諭を振出しに、蕃寮公学校長、店仔口公学校長を経て、1920年(大正9年)台南州郡視学として新営郡に転じる[1]。ついで東石郡庶務課長、斗六郡庶務課長、嘉義郡庶務課長、台南州地方係長を経て、1932年(昭和7年)4月、地方理事官に進み、高雄州東港郡守に就任する[1]。
のち1936年(昭和11年)12月に新竹州桃園郡守を経て、1939年(昭和14年)1月、屏東市尹となり、同年8月に退官し、愛国婦人会台湾支部主事に就任した[2]。ほか高雄州青果同業組合副組長などを務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 台湾新民報社 1937, 218頁.
- ^ a b c 興南新聞社 1943, 243頁.