宗藤大陸
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宗藤 大陸(むねとう たいろく[1]、1893年(明治26年)4月14日[2] - 1974年(昭和49年)2月27日[3])は、大正から昭和時代前期の政治家。台湾総督府官僚。屏東市尹、高雄市尹。北海道函館市長。
経歴
[編集]岡山県久米郡吉岡村(現在の美咲町)出身[4]。1914年(大正3年)から兵庫県で巡査、巡査部長、警部を歴任[4]。1924年(大正13年)に台湾に渡り、警務局勤務、文教局属、新竹市助役、豊原郡守を歴任[4]。1936年(昭和11年)、屏東市尹に就任し、翌年に高雄市尹に転じた[1]。
退官後、台湾製糖株式会社企画部長、同総務部長、高雄州会議員、屏東商業会議所会頭などを務めた[5]。
戦後は函館市助役を経て、坂本森一の急逝をうけて1947年(昭和22年)に市長に選出された[5][6]。戦後の函館再建に尽力したが、1955年(昭和30年)の選挙で敗れた[6]。
市長を辞められてからは函館地域のミニコミ誌『タウン誌「街」』で幾度か執筆している[7]。
主な施策
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 台湾人士鑑 1943, pp. 389–390.
- ^ 『台湾紳士銘鑑』新高新報社、1937年、p.164。
- ^ 「宗藤大陸氏(むねとう・たいろく=元函館市長)」『朝日新聞』1974年2月28日、19面。
- ^ a b c 台湾人士鑑 1937, p. 356.
- ^ a b 人事興信録 1948, p. ム3.
- ^ a b “「函館市史」通説編4 6編1章2節3-3”. archives.c.fun.ac.jp. 2022年6月6日閲覧。
- ^ a b わが街 はこだてタウン誌50年 p.60
参考文献
[編集]- 呂霊石編『台湾人士鑑』台湾新民報社、1937年。
- 呂霊石編『台湾人士鑑』興南新聞社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版(下)』人事興信所、1948年。
- タウン誌「街」編集室編 『わが街 はこだてタウン誌50年』 2013年 ISBN 978-4-9907060-0-5
公職 | ||
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先代 坂本森一 |
北海道函館市長 1947年 - 1955年 |
次代 吉谷一次 |