第28師団 (日本軍)
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(豊兵団から転送)
第28師団 | |
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創設 | 1940年(昭和15年)7月10日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 満州-南西諸島 |
編成地 | 満州国 新京 |
通称号/略称 | 豊 |
補充担任 | 東京師管・東京師管区 |
最終上級単位 | 第32軍 |
最終位置 | 沖縄県 宮古島 |
戦歴 | 日中-太平洋戦争 |
第28師団(だいにじゅうはちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
沿革
[編集]- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)
- 11月25日:在満師団は駐屯体制に復帰、編成縮小[1]。師団制毒隊.衛生隊.兵器勤務隊.病馬廠.第1~第4野戦病院を復員復帰。
- 1943年(昭和18年)
- 9月 :絶対国防圏設定。当初は支那より兵力転用を企図するも、全般状況より満州駐留部隊から南方への転用が始まる。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]- 石黒貞蔵 中将:1940年(昭和15年)8月1日 - 1943年(昭和18年)3月1日
- 櫛淵鍹一 中将:1943年(昭和18年)3月1日 - 1945年(昭和20年)1月12日
- 納見敏郎 中将:1945年(昭和20年)1月12日 - 終戦
歴代参謀長
[編集]- 浅野克己 歩兵大佐:1940年(昭和15年)8月1日[4] - 1941年10月31日[5]
- 福地春男 大佐:1941年(昭和16年)10月31日 - 1945年2月1日[6]
- 一瀬寿 大佐:1945年(昭和20年)2月1日 - 終戦[7]
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第3連隊(東京):衿土軍大佐
- 歩兵第30連隊(高田):富沢国松大佐
- 歩兵第36連隊(鯖江):田村権一大佐
- 騎兵第28連隊:上田巌大佐
- 山砲兵第28連隊:梶松二郎大佐
- 工兵第28連隊:外賀猶一大佐
- 輜重兵第28連隊:宮川正少佐
- 第28師団通信隊:国武達雄少佐
- 第28師団兵器修理所:藤本武輝大尉
- 第28師団第2野戦病院:三好祝二軍医大尉(* 昭和19.11.3:南方派遣により東京で動員.編合。半部大東島.半部伊良部。)
- 第28師団第3野戦病院:横井忠男軍医大尉(* 昭和19.11.3:南方派遣により東京で動員.編合。)
- 第28師団第4野戦病院:辻義春軍医少佐(* 昭和19.10.30:南方派遣により佐倉で動員.編合。)
- 第28師団防疫給水部:石塚政夫軍医少佐
- 第28師団制毒訓練所:那須憲三少佐
- 第28師団病馬廠:保坂斯道獣医大尉
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『陸軍戦備』朝雲新聞社。
- ^ 別冊歴史読本特別増刊号『日本陸軍師団総覧』。
- ^ 転用にあたり大幅に馬匹制限。騎兵連隊は将校用乗馬のみとして徒歩編成となる。輜重兵連隊も大幅縮小。
- ^ 「第28師団戦史資料 昭和15年」 アジア歴史資料センター Ref.C11110015700
- ^ 「第28師団戦史資料 昭和16年」 アジア歴史資料センター Ref.C11110015800
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』439頁。
- ^ 『帝国陸軍編制総覧』922頁。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- グランドパワー『日本軍機甲部隊の編成装備(1)』。
- グランドパワー『日本軍機甲部隊の編成装備(2)』。
- グランドパワー『日本軍陸軍の特種部隊』。
- 『陸軍戦備』朝雲新聞社。
- 別冊歴史読本特別増刊号『日本陸軍連隊総覧・歩兵編』。
- 別冊歴史読本特別増刊号『日本陸軍機械化部隊総覧』。
- 別冊歴史読本特別増刊号『日本陸軍部隊総覧』。
- 別冊歴史読本特別増刊号『日本陸軍師団総覧』。
- 別冊歴史読本特別増刊号『日本陸軍総覧』。
- 別冊1億人の昭和史『日本陸軍史』、毎日新聞社。
- 1億人の昭和史『日本の戦史』シリーズ①~⑩、毎日新聞社。