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高田市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかだし
高田市

高田市章
廃止日 1971年4月29日
廃止理由 新設合併
高田市直江津市上越市
現在の自治体 上越市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
市町村コード 15203-0
面積 145km2.
総人口 75,053
(1971年)
隣接自治体 直江津市新井市板倉町清里村牧村三和村
高田市役所
所在地 新潟県高田市呉服町(市制施行当時)[1]
座標 北緯37度08分52秒 東経138度14分10秒 / 北緯37.14786度 東経138.23603度 / 37.14786; 138.23603座標: 北緯37度08分52秒 東経138度14分10秒 / 北緯37.14786度 東経138.23603度 / 37.14786; 138.23603
高田市の地図
ウィキプロジェクト

高田市(たかだし)は、かつて新潟県西部(上越地方)に存在した。現在の上越市南部。市制施行前は中頚城郡に属していた。

概略

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江戸時代初期に、越後国・信濃国の両国で45万石を与えられた松平忠輝徳川家康の六男)が居城として高田城を築いて以来、高田藩城下町として栄えた。明治の廃藩置県当初は、現在の上越地方(頚城地方)を範囲とする高田県の県庁所在地であった。

周辺地域は豪雪地帯として知られ、1945年(昭和20年)2月26日には377cmの積雪を記録した。雁木と呼ばれるアーケード状の軒先など、独特の町並が残る。

地理

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隣接していた自治体

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歴史

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アメリカ陸軍地図局による新潟県高田市の地図。1945年版。

沿革

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、中頸城郡高田下紺屋町、高田下小町、高田寄大工町、高田大鋸町、高田本杉鍛冶町、高田新本杉鍛冶町、高田元府古町、高田本大工町、高田中寺町、高田下寺町、高田刃物鍛冶町、高田土橋町、高田陀羅尼町、高田新田町、高田下職人町、高田善光寺町、高田長門町、高田中屋敷町、高田本誓寺町、高田直江町、高田稲田鍛冶町、高田鍋屋町、高田西村町、高田伊勢町、高田出雲町、高田関町、高田横春日町、高田竪春日町、高田府古町、高田上紺屋町、高田上蔵番町、高田新蔵番町、高田上寺町、高田横町、高田呉服町、高田上小町、高田中小町、高田上職人町、高田桶屋町、高田杉森町、高田下田端町、高田檜物屋町、高田上田端町、高田両替町、高田須賀町、高田新須賀町、高田新職人町、高士村の区域の一部、高田藪野新田村、高田陀羅尼新田、高田陀羅尼新々田及び高田川原町新田の区域をもって、中頸城郡高田町が発足する。
  • 1908年(明治41年)11月1日 - 中頸城郡高田町及び高城村が合併して、改めて中頸城郡高田町が発足する。
  • 1911年(明治44年)9月1日 - 市制施行して、高田市となる。
  • 1947年(昭和22年)10月12日 - 昭和天皇の戦後巡幸。県立高田中学校校庭に市民奉迎場が設けられ昭和天皇を迎える。戦災者、海外引揚者住宅が視察先となる[2]
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 中頸城郡新道村及び金谷村を編入する。
  • 1955年(昭和30年)
    • 2月1日 - 中頸城郡春日村諏訪村津有村三郷村及び和田村の区域の一部を編入する。
    • 4月1日 - 大字愛宕国分、五智国分、毘沙門国分寺、善光寺浜、居多、居田、大場、国分寺及び虫生岩戸の区域を直江津市に編入する。
    • 6月1日 - 新井市の区域の一部を編入する。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 大字三交の区域の一部、木田の区域の一部、中門前の区域の一部、薄袋の区域の一部及び寺分の区域の一部を直江津市に編入する。
  • 1959年(昭和34年)11月1日 - 中頸城郡高士村を編入する[3]
  • 1963年(昭和38年)8月1日 - 高田市及び直江津市の区域の境界の一部を変更する。
  • 1970年(昭和45年)2月1日 - 高田市及び直江津市の区域の境界の一部を変更する。
  • 1971年(昭和46年)
    • 4月15日 - 高田市及び新井市の区域の境界の一部を変更する。
    • 4月29日 - 高田市及び直江津市合併して、上越市が発足する。

行政

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歴代市長

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氏名 就任日 退任日 備考
高田町長(官選)[4]
中川源造 1889年5月22日 1890年10月31日 辞職
2 大井茂作 1890年11月24日 1891年8月19日 死去
3 室十一郎 1891年9月28日 1893年10月23日 辞職
4 中川源造 1893年10月31日 1896年1月31日 辞職
5 倉石源造 1896年3月26日 1908年2月12日 辞職
6 室十二郎 1908年7月22日 1911年8月31日 辞職
高田市長(官選)
事務取扱 寒川卯之七 1911年9月1日[5] 1912年1月8日[6]
倉石源造 1912年1月6日[7] 1921年5月13日 死去
2 河島良温 1921年8月6日[8] 1924年10月7日
3 川合直次 1924年10月29日[8] 1936年2月2日
4 江坂徳蔵 1936年7月4日 1938年8月27日
5 中川潤治 1938年10月6日 1945年3月4日
6 川上大造 1945年5月30日 1946年11月20日
高田市長(公選)
7 関威雄 1947年4月5日 1955年1月20日 死去
8 川澄農治 1955年3月15日 1963年3月14日
9 小山元一 1963年4月30日 1971年4月28日 廃止

経済

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産業

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、高田町の篤農家は金石、室、飯塚、池内、上原、八田、山田、高橋、岡田、中川、山岸、佐藤、三上、丸山姓の人物がいた[9]

娯楽

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  • 高田シネマ(本町) - 映画館[10]
  • 高田松竹館(本町) - 映画館[10]
  • 高田中央劇場(仲町) - 映画館[10]
  • 高田東映劇場(仲町) - 映画館[10]
  • 高田文化劇場(大町) - 映画館[10]

教育

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交通

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鉄道

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脇野田駅(現上越妙高駅) - 南高田駅 - 高田駅 - 春日山駅

道路

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出身・ゆかりのある人物

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政治家・経済人

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学者

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文化人

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脚注

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  1. ^ 『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(1989年10月8日、角川書店発行)807頁。
  2. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、483頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
  3. ^ 『上越市史 通史編6 現代』(2002年3月31日、上越市発行)年表14頁。
  4. ^ 新潟県高田市教育会 1914, 185頁.
  5. ^ 新潟県高田市教育会 1914, 186頁.
  6. ^ 新潟県高田市教育会 1914, 187頁.
  7. ^ 『官報』第8562号「彙報」明治45年1月6日。
  8. ^ a b 『官報』第3658号「彙報」大正13年11月1日。
  9. ^ 『大日本篤農家名鑑』518頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月1日閲覧。
  10. ^ a b c d e 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年
  11. ^ 『日本政経人評伝 第1集』120 - 122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月24日閲覧。
  12. ^ 『日本の歴代知事 第1巻』1012 - 1013頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月24日閲覧。

参考文献

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  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 夕刊都新聞社編集部同人編『日本政経人評伝 第1集』夕刊都新聞社、1950年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代知事 第1巻』歴代知事編纂会、1980年。
  • 高田市史 本編』新潟県高田市教育会、1914年https://play.google.com/store/books/details/?id=3qq-BgNKbrMC 
  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目

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