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川澄 農治(かわすみ のうじ、1896年(明治29年)1月22日[1] - 1992年(平成4年)1月23日[2])は、日本の政治家。新潟県高田市長(2期)、直江津市長(1期)[1]。
新潟県中頸城郡大倉村(のち和田村→高田市、現・上越市)大字石沢(旧石沢村)に生まれる[1]。1914年、矢代川改修工事書記、1917年、和田村書記、1922年、西頸城郡書記、1924年、中頸城郡書記となったが、1926年の郡役所廃止により新潟県属となり、地方課勤務になる[1]。1928年に退職し、高田市役所に入り、書記となった[1]。1936年、庶務課長、1944年、助役となり、1946年、川上大造市長の辞職により5ヶ月間市長代理を務めた[1]。
1947年、直江津町長選挙に立候補して当選、1951年に再選され、1954年の直江津市制施行に伴い、市長に就任した[1]。
翌1955年の高田市長選挙に立候補して当選した[1]。1959年の市長選挙では無投票で再選[3]。1963年に高田市長を2期4年務めて退任した[3]。1992年死去。
- ^ a b c d e f g h 『高田市史』第2巻 527頁。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、385頁。
- ^ a b 『高田市史』第3巻 128頁。
- 『高田市史』第2巻 高田市史編集委員会/編 高田市 1958年。
- 『高田市史』第3巻 高田市史編さん委員会/編 上越市 1980年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
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官選 |
- 倉石源造1912.1.6-1921.5.13
- 河島良温1921.8.6-1924.10.7
- 川合直次1924.10.29-1936.2.2
- 江坂徳蔵1936.7.4-1938.8.27
- 中川潤治1938.10.6-1945.3.4
- 川上大造1945.5.30-1946.11.20
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公選 |
- 関威雄1947.4.5-1955.1.20
- 川澄農治1955.3.15-1963.3.14
- 小山元一1963.4.30-1971.4.28(廃止)
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カテゴリ |
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1971年4月29日合併 |
高田市長 |
官選 |
- 倉石源造1912.1.6-1921.5.13
- 河島良温1921.8.6-1924.10.7
- 川合直次1924.10.29-1936.2.2
- 江坂徳蔵1936.7.4-1938.8.27
- 中川潤治1938.10.6-1945.3.4
- 川上大造1945.5.30-1946.11.20
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公選 |
- 関威雄1947.4.5-1955.1.20
- 川澄農治1955.3.15-1963.3.14
- 小山元一1963.4.30-1971.4.28
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直江津市長 |
- 川澄農治1954.6.1-1955.2
- 柳沢徹隆1955.4.30-1962.4
- 佐藤策次1962.7-1971.4.28
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合併後 |
- 小山元一1971.6-1973.12
- 植木公1974.2-1993.11
- 宮越馨1993.11-2001.11.8
- 木浦正幸2001.11.9-2009.11.8
- 村山秀幸2009.11.9-2021.11.8
- 中川幹太2021.11.9-
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カテゴリ |