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川上 大造(かわかみ だいぞう、1892年(明治25年)9月6日[1][注 1] - 1950年(昭和25年)10月2日[1])は、日本の政治家。新潟県高田市(現・上越市)長。
旧高田藩士の家に生まれる[1]。旧制高田中学校から第四高等学校を経て[1]、1917年(大正6年)東京帝国大学政治科卒[1]。さらに1921年(大正10年)東京帝国大学法律科を卒業した[1]。卒業後は帰郷し、高田市で弁護士事務所を開業した[1]。1924年(大正13年)高田市学務委員に任じられ、同年暮れに高田市会議員に当選した[1]。1931年(昭和6年)には新潟県会議員に当選し[1]、1939年(昭和14年)には市会議長に就任した[1]。
1945年(昭和20年)高田市長中川潤治が召集され、市長が空席となったため[2]、市会は市会議長の川上を推薦し、5月30日に正式に就任した[1]。市長在職中に終戦を迎え、占領軍との折衝や食料や燃料、住宅資材などの確保、引揚者の援助に力を尽くした[3]。
1946年(昭和21年)秋、戦時中の市町村長は公職追放の対象となるため、11月20日付で市長を退職した[3]。1950年(昭和25年)に死去した。
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』170頁には生年没年とも「不詳」。
- ^ a b c d e f g h i j k 『高田市史 第2巻』384頁。
- ^ 『高田市史 第2巻』383頁。
- ^ a b 『高田市史 第2巻』500頁。
- 高田市史編集委員会編『高田市史 第2巻』高田市、1958年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
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官選 |
- 倉石源造1912.1.6-1921.5.13
- 河島良温1921.8.6-1924.10.7
- 川合直次1924.10.29-1936.2.2
- 江坂徳蔵1936.7.4-1938.8.27
- 中川潤治1938.10.6-1945.3.4
- 川上大造1945.5.30-1946.11.20
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公選 |
- 関威雄1947.4.5-1955.1.20
- 川澄農治1955.3.15-1963.3.14
- 小山元一1963.4.30-1971.4.28(廃止)
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カテゴリ |
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1971年4月29日合併 |
高田市長 |
官選 |
- 倉石源造1912.1.6-1921.5.13
- 河島良温1921.8.6-1924.10.7
- 川合直次1924.10.29-1936.2.2
- 江坂徳蔵1936.7.4-1938.8.27
- 中川潤治1938.10.6-1945.3.4
- 川上大造1945.5.30-1946.11.20
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公選 |
- 関威雄1947.4.5-1955.1.20
- 川澄農治1955.3.15-1963.3.14
- 小山元一1963.4.30-1971.4.28
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直江津市長 |
- 川澄農治1954.6.1-1955.2
- 柳沢徹隆1955.4.30-1962.4
- 佐藤策次1962.7-1971.4.28
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合併後 |
- 小山元一1971.6-1973.12
- 植木公1974.2-1993.11
- 宮越馨1993.11-2001.11.8
- 木浦正幸2001.11.9-2009.11.8
- 村山秀幸2009.11.9-2021.11.8
- 中川幹太2021.11.9-
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カテゴリ |