豊能町立東能勢小学校
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豊能町立東能勢小学校 | |
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豊能町立東能勢小学校 | |
北緯34度55分12秒 東経135度29分47秒 / 北緯34.919889度 東経135.4965度座標: 北緯34度55分12秒 東経135度29分47秒 / 北緯34.919889度 東経135.4965度 | |
過去の名称 |
第四番小学校 能勢郡東能勢尋常小学校 能勢郡東能勢尋常高等小学校 豊能郡東能勢尋常高等小学校 豊能郡東能勢国民学校 東能勢村立小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 豊能町 |
併合学校 | 豊能町立高山小学校 |
設立年月日 | 1875年8月8日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B127210009073 |
所在地 | 〒563-0219 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
豊能町立東能勢小学校(とよのちょうりつ ひがしのせ しょうがっこう)は、大阪府豊能郡豊能町にある公立小学校。豊能町の東部を校区とする。
沿革
[編集]明治時代初期に当時の能勢郡木代・切畑・余野・川尻・野間口の5か村(いずれも町村制施行で東能勢村)を校区に「第三大区第四中区十一小区第四番小学校」を設置したことに始まる。その後学校の分離や統合を経て、1880年代後半までに、東能勢村を校区とする東能勢尋常小学校に再編された。
1955年に高山地区が茨木市から東能勢村に編入されたことに伴い、同地区を茨木市立清溪小学校校区から当校校区に編入し、同地区に高山分校を設置した。高山分校は1980年以降には高山小学校として独立校となったが、児童数減少のために2005年に本校と統合している。
また1958年に牧・寺田地区が京都府亀岡市から東能勢村に編入されたことに伴い、同地区を亀岡市立西別院小学校校区から当校校区に編入している。
1990年7月から1993年3月にかけて新任教師黒田恭史による「最終的にブタを飼育して食べる」という授業が行われた。その模様は1993年7月12日のフジテレビ系情報番組『今夜は好奇心!』内で放送され、2008年11月1日にはこれを題材に『ブタがいた教室』として映画化された。
校区は、希望ヶ丘(北大阪ネオポリス)、余野、切畑、木代、川尻、寺田、高山などがある。
年表
[編集]- 1875年 - 木代村朝川寺内に、第三大区第四中区第十一小区第四番小学校として開校。
- この間、木代小学校・野間口小学校・切畑小学校などへの分離と統合を繰り返す。
- 1880年7月26日 - 現在地である余野に校舎落成。
- 1891年3月3日 - 能勢郡東能勢尋常小学校と称する。
- 1896年1月28日 - 高等科を併設。能勢郡東能勢尋常高等小学校に改称。
- 1896年4月1日 - 郡の合併により、豊能郡東能勢尋常高等小学校と称する。
- 1936年12月 - 講堂竣工。(現在の豊能町立郷土資料館)
- 1941年4月1日 - 国民学校令により、豊能郡東能勢国民学校に改称。
- 1947年4月1日 - 学制改革により、東能勢村立小学校となる。
- 1955年4月15日 - 茨木市(当時)高山地区を東能勢村に編入。これに伴い同地区を校区に編入し、高山分校を設置。
- 1957年 - 現行の校章と校歌を制定。
- 1958年4月1日 - 京都府亀岡市(当時)寺田・牧地区を東能勢村に編入。これに伴い同地区を校区に編入。
- 1966年9月12日 - 給食施設の新設に伴い、高山分校と共に完全給食を開始する。
- 1977年 - 町制施行により、豊能町立東能勢小学校となる。
- 1980年 - 高山分校が豊能町立高山小学校として独立。
- 2005年 - 高山小学校を再統合。
通学区域
[編集]- 豊能町 余野・川尻・木代・切畑・野間口・牧・寺田・高山・希望ヶ丘。
- 卒業生は基本的に豊能町立東能勢中学校に進学する。
交通
[編集]- 阪急バス 余野バス停。
- 能勢電鉄妙見線 妙見口駅 東へ(道路・地形の関係で北へ大回りして)約12km。
- 阪急宝塚線 池田駅 北東へ約15.3km。
- 阪急箕面線 箕面駅 箕面グリーンロード経由で北へ約15.5km、一般道経由で北へ約17km。
- 山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅 南へ約18.1km。
- 阪神高速11号池田線 池田木部出入口 北東へ約13.4km。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『創立百周年記念誌』
- 発行者: 東能勢村立東能勢小学校
- 発行協力: 東能勢小学校創立百周年記念行事実行委員会
- 発行日: 1975年11月28日