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豊里町立竹花小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊里町立竹花小学校

竹花小学校跡
地図北緯38度35分56.48秒 東経141度14分27.7秒 / 北緯38.5990222度 東経141.241028度 / 38.5990222; 141.241028座標: 北緯38度35分56.48秒 東経141度14分27.7秒 / 北緯38.5990222度 東経141.241028度 / 38.5990222; 141.241028
過去の名称 豊里尋常小学校竹花分教場
豊里村立豊里小学校竹花分校
国公私立の別 公立学校
設置者 豊里町
設立年月日 1873年
閉校年月日 1980年
共学・別学 男女共学
分校 十五貫分校
学期 3学期制
所在地 987-03
宮城県登米郡豊里町大字赤生津字寿崎61番地
(現:登米市豊里町寿崎)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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豊里町立竹花小学校(とよさとちょうりつ たけばなしょうがっこう)はかつて宮城県登米郡豊里町(現:登米市)にあった公立小学校である。

概要

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豊里町立豊里小学校と統合のため、1980年に閉校した。卒業後の進学先中学校は豊里町立豊里中学校へ進学していた。

本校のほか、十五貫分校も設置されていた。

沿革

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  • 1873年(明治6年) - 創設。民家を校舎とする。
  • 1880年(明治13年)10月 - 登米市豊里町寿崎に校舎を建設した。
  • 1884年(明治17年)- 赤生津小学校の支校となる。
  • 1885年(明治18年)4月30日 - 竹花初等小学校と改められ、独立校となる。
  • 1887年(明治20年)- 竹花尋常小学校と改称。
  • 1889年(明治22年)4月 - 赤生津村と鴇波村が合併して豊里村となり、豊里尋常小学校竹花分教場と改称。
  • 1896年(明治29年)- 北上川、迫川の洪水で2か月ほど休校。
  • 1898年(明治31年)9月 - 北上川迫川洪水により休校となる。
  • 1909年(明治42年)4月 - 高等科を設置して、豊里尋常高等小学校竹花分教場と改称。
  • 1910年(明治43年)
    • 8月 - 北上川、迫川の大洪水で町村財政が苦しくなり、教員俸給不払いをきたした。
    • 12月 - 豊里尋常高等小学校十五貫分教場を新設。
  • 1921年(大正10年)4月 - 十五貫分校の5~6年生を通学させる。
  • 1925年(大正14年)9月 - 西側に3教室増築竣工。
  • 1927年(昭和2年)- 北上川大洪水で4月に臨時休校、再開時、大曲地区の児童は船で通学。
  • 1952年(昭和27年)- 竹花小学校が独立して豊里町立竹花小学校となり、十五貫分校を編入する。
  • 1960年(昭和35年)- 全国学校植林コンクールで第1位となる。
  • 1972年(昭和47年)- 十五貫分校を統合する。
  • 1980年(昭和55年)- 豊里町立豊里小学校に統合され、閉校。およそ100年の歴史の幕を閉じた。

学区

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竹花地区、庚申地区、保手地区、大曲地区、十五貫地区

関連項目

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参照

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