赤松範一
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赤松範一 あかまつ のりかず あかまつ はんいち | |
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生年月日 | 1870年2月15日 |
没年月日 | 1945年7月25日(75歳没) |
所属政党 | 公正会 |
親族 |
父・赤松則良(貴族院議員) 伯父・榎本武揚(農商務大臣) 叔父・西紳六郎(貴族院議員) 弟・赤松小寅(京都府知事) 弟・西酉乙(貴族院議員) 従弟・榎本武憲(貴族院議員) |
在任期間 | 1918年7月10日 - 1945年7月25日 |
赤松 範一(あかまつ のりかず[1] / はんいち[2]、1870年2月15日(明治3年1月15日[2])- 1945年(昭和20年)7月25日[1])は、日本の実業家、政治家。貴族院議員、男爵。民俗学にも造詣が深かった。
経歴
[編集]元幕臣赤松則良の長男として生まれる[2]。同人社に学び後実業界、政界において活躍する。
父の隠居に伴い、1917年(大正6年)10月30日、家督を相続し男爵を襲爵する[2]。1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[3]公正会に所属し死去するまで在任した[1][4]。
その他、東京製綱専務取締役、台湾繊維、阪川牛乳店社長、東京針金工業、八幡伸鉄各取締役、小島印刷、三宝商事各監査役等を歴任。
範一の死後、長男・照彦は襲爵手続をしなかった[5]。
親族
[編集]- 父:赤松則良(軍人・海軍中将)
- 妻:すみ(東京府士族・遠田注長女)
- 長男:照彦(政治家・静岡県磐田市長)
- 長女:秀子(佐藤要に嫁する)
- 二男:幹男
- 三男:正枝
- 四男:季男
- 五男:綾彦
- 六男:公男
- 弟:赤松小寅(内務官僚)
- 親戚:森鷗外(作家)
その他
[編集]東京府荏原郡大井町一本松(現:東京都品川区南大井2・3丁目)に居住した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 小田部雄次 『華族:近代日本貴族の虚像と実像』 中公新書、2006年、ISBN 4-12-101836-2
日本の爵位 | ||
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先代 赤松則良 |
男爵 赤松(則良)家第2代 1917年 - 1945年 |
次代 襲爵せず |